未来のシナリオ


「外はめちゃくちゃ寒いからな。

 もう一枚上に着ておけ」

 

茶色い男物のセーターを手渡される。 

 

「ありがとう」

 

彼女を引っ張って、駅舎の外へ出た。

案の定、かなり寒い。

12℃ぐらいか・・・。

 

透き通る青空。

八ヶ岳連峰が、大きく眼前に拡がり

空気の冷たさと風の爽やかさが

とてつもなく心地よい。

胸一杯、空気を吸い込み

 

「気持ちいいだろうーっ!」

 

「いい! スゴークいい!!

 山登り・・・したことないから

 教えてねっ」

 

彼女は笑う。

 

中途半端な時間帯に

中途半端な装備で

来てしまったかもしれない。

僕はともかく、初めての彼女の

期待と不安を想うと

思いつきで来た事の責任も感じて心痛む。

 

「ついてきたのは

 私のわがままだから・・・

 足手まといにならないように

 するから・・・」

 

一生懸命さを前に出すのを制し

 

「そんなにマジになんなよ・・・

 たかが山歩き、ハイキングだぜ。

 頂上制覇が目標でも

 義務でもないし。

 2人でここに立っているだけで

 もう充分なんだ、僕は」

 

「頂上に行きたいんでしょ・・・」

 

「立たなきゃならない頂上(トップ)は

 別にある。八ヶ岳なんて山じゃなくて。

 成功(サクセス)して人生の頂上に立つ。

 キミを連れて・・・なぁ~んて言ったら

 カッコ良すぎるなぁ~あはは」

 

「うん、すごくカッコいい!

 連れてって! 一緒に行くよ!」

 

彼女の大きく見開かれた瞳の中に

真剣の二文字が見える。

もっと言いたいことは

山ほどあるのだが・・・。

夢のまた夢を

語ることになってしまうだろう。

自分の理解者・パートナーが

たった1人でも

この世に存在する。

その確信を得た時

人間はとてつもなく

強くなれる・・・

ことを知った。

 

なにひとつ考えず

考えることもなく

ワサワサと毎日に引きづられ

日常に流され、適当な会話と

他人との調和で生きてきた18年が

突然変革してしまう。

 

マジ・・・これじゃダメだ

こんなんじゃアカン。

180度、頂上を目指す生き方へ

急旋回だもの・・・。

この小柄な16歳の微笑みと

息づかい、転がり出る言葉と

しなやかな動き。それだけで

元気と勇気が心の奥底から

湧きあがってくるもんなァ。

 

「どーしたの

 黙りこくっちゃってぇ」

 

俺の顔を覗き込み

顔の前にヒラヒラと手をかざす奴。

 

「照れてんの・・・?! 

 あたしだって同じだよ」

 

クスッと笑う。

 

「バ、バスの時間みてくらァ」

 

照れ隠しに歩き出すと

キュンと腕にすがり

 

「あたしもいくっ!」

 

連休の後半というのに

どうやら山を目指す客は

俺たち2人だけらしい。

午前8時のバス。

発車迄には30分もある。

空っぽのバスが一台

ポツーンと停車場にあり

運転手もいない。

 

バスの中にリュックを置き

とりあえず座席をふたつ確保する。

「バスの時間まで

 この辺を散歩してみるかァ」

 

「うん、行こう。

 この辺って、やっぱり

 東京に較べて寒いんだね。

 ホラ、まだ桜が咲いてるよォ~」

 

彼女が指さす山の端に

満開の八重桜やしだれ桜が点在する。

 

「八重桜は遅咲きだからなァ。

 それにしても満開か・・・。

 桜前線とは1ヶ月ぐらい

 差があるんだな」

 

「カメラ持ってくりゃよかったねぇ~」

 

「ムフフ、持ってるよォ。

 写ルンですの27枚撮りだけどな」

 

ジャンパーのポケットから

パッケージを出して

包装を適当に破る。

 

「初めての写真だよね・・・

 2人の・・・」

 

桜をバックに

彼女の嬉しそうな笑顔をパチリ。

 

「このカメラじゃ

 2人並んで撮れないな。

 誰かに頼まないと・・・」

 

周囲を見回すも

残念だが誰もいない。

彼女の笑顔が拡がるファインダーを

パノラマに切り替えた瞬間に

ギョッとした。

背景の桜の樹々の下に

数匹の猫が並んでいる。

 

「また・・・猫だァ・・・」

 

「どうしたの?! 

 顔へんかな・・・

 ぐっすり寝ちゃったから

 私の顔腫れてる?! ねぇ・・・」

 

「いや・・・

 そうじゃない・・・

 ちょっといい構図を狙って・・・」

 

ファインダーを構えると

また一匹二匹と

続々と猫が増えている。

かなりドキドキしてきたが

シャッターを切った。

カメラを手に彼女に近づき

耳元へ囁こうとする。

 

「やだぁ~くすぐったいよ。

 ねぇ~どうしたの?! 

 顔色悪いよ・・・

 風邪ひいた?! 

 寒いの?! 

 貸してくれたセーター

 着たほうがいいよ」

 

「違うんだけど・・・

 顔いろ悪くなる奴が・・・

 知らない間に

 いっぱいいるんだ。

 キミの背後の八重桜の下に・・・

 どんどん増えている・・・」

 

「猫!!」

 

彼女の大きな瞳が

倍の大きさになった。

 

「・・・・・・・・」

 

無言で2度頷く。

 

彼女はゆっくりと座り込み

足元にあった小石をいくつか掴むや

いきなり振り向きざま

猫たちに向かって

その小石を力一杯投げつける。

 

「あんたたちなんか大嫌いーっ!! 

 消えろーっ!!」

 

大きな声でわめきながら

また小石を掴み

バラバラーっッと投げつける。

バシーン

 

多くの小石の一つが

意表を突かれた猫の顔に命中。

 

ギャオーッ

 

総毛立って飛ぶ猫。

 

サワサワーッ

 

十数匹いた猫は左右に散り

凄まじい勢いで

逃げて走り去る。

 

「キライ、大キライーッ」

 

手当たり次第、石をひっ掴み

半狂乱で投げつける彼女を

後ろから抱きすくめた。

 

「大丈夫! もういない!! 

 おまえの逆襲に驚いて

 逃げちゃったよ」

 

必死の形相で

暴れる彼女を抱きすくめ

髪を撫でて落ち着かせる。

 

「どーしてなの?! 

 なんでなんで・・・

 あなたが追っ払うのよ。

 あなたがやっつけて

 くれなくっちゃあ・・・」

 

泣きながら訴えてくる。

 

「ゴメン・・・

 その通り・・・

 おまえが怯える前に

 俺が怖がってちゃ

 仕方ないな・・・。

 それにしても頼もしいなァ。

 猫は石に当たって

 ぶっ飛んだもんな。

 おまえと喧嘩するのやめよう、俺。

 勝てそうにないからな」

 

呟く。

 

「ねぇ~石に当たった猫・・・

 大丈夫かな・・・

 可哀想なことしちゃった・・・」

 

不安と後悔で

ヒクヒクとしゃくりあげる

彼女を強く抱きしめて

 

「大丈夫だよ

 大したダメージじゃないよ。

 勢いよく逃げちゃったからな」

 

涙目の彼女を引っ張って

バスへ戻る。

発車まで、あと数分だった。

 

偶然が半日で

3回続くことは、まずない。

いや、絶対にない。

ありえないことだ。

今日はこれで3回目の

猫さんたちだ。

俺たちに、なにか

理由や原因があるはずもなし。

不愉快極まりないのだが

不思議と不条理と不可解が

俺たちを襲い続けるのは

一体なんでだろう・・・。

 

俺たちの出会いは

自転車の衝突だった。

その最初の出会いから

異常な世界へ

突き抜けたのかも知れない。

「同じこと考えてるよね、

 私たち。

 最初の出会いから

 変だった・・・。

 不思議なことが

 続きすぎるって・・・」

 

窓際の席から

俺にすがりつくようにして

彼女は呟く。

 

「だから、キミに会えた。

 それが大事なんだ。

 そうじゃなかったら

 キミと会えなかった。

 俺は、つまらない

 浪人生のままだろう・・・」

 

「今は・・・

 素敵な頂上を目指す男ね。

 跳ね飛ばしても

 無傷で元気一杯。

 猫に石を叩きつける

 暴力女の将来まで面倒みる

 責任感の強い人」

 

彼女は口を尖らす。

 

「いやぁ~お客さん

 待たせたねぇ~。

 じゃあ〜発車しますわ」

 

中年の運転手が

乗り込んできて

一礼した。

白い手袋をゆっくりはめて

エンジンをかける。

 

「八ヶ岳は初めてかね

 お客さん?!」

 

運転手は正面を見据えたまま

声をかけてくる。

 

「いえ、2年前に・・・

 高校の登山部の練習で

 きたことがあります」

 

「そうかね・・・。

 その格好じゃ・・・

 まだ山は寒いからねぇ。

 山の天候は変わりやすいし

 怖いよォ。

 無理せずにねぇ~」

 

「ありがとうございます・・・

 つい思いつきで

 きちゃいました。

 ハイキング程度に

 しておきます」

 

「それがええわァ。

 山歩きのお客さん・・・

 特に若い人が増えてくれるのは

 地元じゃ大歓迎じゃが

 遭難があるたびに

 悲しい思いするでな・・・

 我々も。

 山は登る人間の力量(キャリア)を

 選ぶからのォ~」

 

お説の通りである。

 

数少ない経験でも

登山で突然豪雨に襲われたり

風の寒さに震えたり

天候の激変で

ヒドイ目にあったこともある。

この中途半端なスタイルでは

高原のハイキング程度が

分相応だ。彼女のためにも・・・

無茶をするのはやめようと思う。

 

ゆっくりと走り出す

バスの窓から外を見て

目が点になった。

道の両脇に

またしても猫がいっぱい

座り込んでいる。

しかも、右手をあげて

言わば招き猫のポーズをとって

走り去るバスを見送っている。

後ろを振り向き

リアウインドウ越しに

背後を見る・・・

いるわいるわ・・・

数十匹の猫。

旅館を出立するお客さまを

玄関で送る仲居さんたちのように

ズラリと道に並んで

見つめている・・・。

 

「猫がいっぱいいるのねっ・・・

 私・・・見たくない」

 

彼女は俺の腕を掴む。

 

「見なくていい!!!

 なにもできないさ・・・

 バスは走っているし大丈夫」

 

彼女を安心させるために

そうは言ったものの

運転手の後ろ姿を見ると

耳が猫のように

ピクリと動いた・・・

気がした。

全身に水を浴びたような気分・・・

黙りこくってしまうしかない。

 

40分ばかり

バスに揺られて

終点の登山道入り口に着いた。

5月の爽やかな空と

のんびりとした山村風景が

車外に拡がっていたが

中年の運転手と

我々2人しか乗客のいない

大きいバスの空間は

妙な違和感、異界感がして

不安な気もした。

 

ノンストップで

真正面を見つめて

ハンドルを握る

運転手の耳が

妙に大きく思える・・・

ピクピクと猫みたいに

動いている・・・気もする。

そのことは、彼女も

気がついている様子だが

口に出すと、運転手が

恐ろしい猫に変身しそうで・・・

お互い触れないでいた。

正直怖いから

手を握りあったまま

車窓を流れる風景を

見つめ続けた。

「はい、お客さん、終点だ。

 気をつけて行きなさいよ。

 まぁゴールデンウィークで

 これほど登山客が少ないのも

 珍しいわな・・・

 これじゃ、あがったりじゃあ」

 

運転手が、あまりにあっさりと

普通の人間くさい言葉を呟いたので

それまでの緊張の糸が切れて

疲れがドーッと出た。

 

「な~んだ・・・

 普通のオジサンだね・・・

 猫に変身するかと思って

 もう・・・怖くて・・・」

 

「俺も・・・

 ピリピリしてたァ・・・

 疑心暗鬼ってこのことだ・・・

 怖いと思うとなにもかもが怖くなる」

 

「でも・・・わかんないよォ。

 今頃、帰りのバスの中で

 あの運転手さんが

 油をペロペロ舐めてたりして・・・」

 

「ニャオ~ンってかァ」

 

俺は猫が舌舐めずりする

真似をしてふざける。

 

登山口に向かって

段々畑が連なる村道を

笑いながら急ぐ。

道なりに点在する

いくつかの農家に

大きな竹竿が立ち

風をいっぱいに受けて

赤・青・黒の鯉のぼりと

五色の吹流しが

翩翻(へんぽん)と翻っている。

鍾馗(しょうき)様や

桃太郎を描いた

巾1m、長さ5mの幟(のぼり)も

パタパタと風にはためいている。

長男・博志とか、次男・剛次とか

幟に墨で黒々と描かれた文字は

その家の男の子の将来と

幸せの祈願なのだろう。

こういう風習は

この地方だけなのだろうか。

青空を背景に、

尾を左右に跳ねて泳ぐ鯉の姿は

たくましく美しい。

こんな風に気持ちよく

未来を泳ぎきりたいな・・・と

元気が心の中に

湧きあがりはじめた時

彼女がビクッと

俺の腕を掴み

不安に満ちた小さな声で呟く。

 

「ねぇ・・・

 怖いよ・・・

 気がついた?!

 各家の門や塀の隅っこに

 必ず猫がいるの

 ジッと私たちを

 見張っているみたいに・・・」

 

あまりにも

オロオロとして表情に

 

「えっ?!

 俺は鯉のぼりの

 かっこよさばかり・・・

 上ばかり見てたから・・・」


確かに、怪しくおかしい。

通り過ぎる家並みの

門前や軒先で猫が座り

じーっと俺たちの動きを追って

ゆっくりと首を回して

見つめ続けている。

俺たちを監視しているとしか

言いようのない

冷ややかな目の動きである。

ワサワサといるわけではない。

数は少ないが、リレーするように

目で追ってくる・・・

それ以上の攻撃的な

動きに出ないのも・・・

帰って嫌な感じだ。

 

「・・・だな!

 間違いない!!!

 ど~する?!」

 

「ど~するって?!」

 

「このまま山へ入るか・・・

 戻ろうか・・・?!」

 

“戻る”という言葉を

俺が口にした途端に

サワッサワッサワッと

各家の猫たちが

今来た道の中央に

ゆっくりと歩を運び

ゆったりと道幅いっぱいに

座ったり寝転んだりし始めた。

7、8匹の色とりどりの猫が、

横いっぱいに道を塞ぐ。

 

「こいつらァ!!」

 

彼女の顔は不安で

みるみる血の気を失った。

 

「戻ってほしくないらしい・・・

 通せんぼだもんな・・・

 山へ行けって言ってるよ・・・」

 

俺は苦笑する他なく

彼女の腕を引き寄せて

くるりと踵を返す。

 

「怖くても

 表情に出しちゃダメ。

 どんなことがあっても

 俺がついているからな。

 俺がキミを命かけて守る!

 これから先もずーっとな・・・

 なにがあっても」

 

彼女の耳元に囁く。

 

「うん・・・

 わかった・・・

 怖くないよッ」

 

彼女は半べその

笑顔を見せてくれる。

2時間あまり

急な斜面の山道を

ただひたすら

一直線に登り続けた。

身体中から

汗と冷や汗が噴出し続け

下着はグショグショ。

背中から猫の鋭い視線を

突き刺され

追いあげられるようにして

まっしぐらに登り続けた。

俺は2年近いブランクは

あるものの、体が

山登りのリズムをとり戻し

不安な気持ちとは裏腹に

体は登山モードとなり

爽快になってきた。

山のやの字も知らない

登山初体験の彼女は

足許もふらつき

青息吐息で

ギブアップ寸前・・・

必死でついてくる。

 

「休もう! 

 もう大丈夫」

 

大声で叫ぶ。

 

「大丈夫じゃないよォ・・・

 口から心臓が飛び出しそう」

 

崩れるように

座り込む彼女を

抱きとめる。

 

水筒の水を飲ませ

タオルで汗だくの顔を

拭いてやるうちに

やっとひと心地つく。

 

「山登りってヤダ!

 いい趣味じゃない!

 ぜんぜん楽しくないよオ~。

 なんでこんなの

 面白いわけ?!

 私にはわかんない」

 

ハッキリとふてくされ

抗議するように呟く。

 

「まぁ・・・な・・・

 最初はみんな

 そう言うんだ。

 俺も、経験豊富・・・

 とは言えないが

 初登山の時は

 辛かったし苦しかった。

 こんなに辛くて苦しいことを

 なんでやらないと

 いけないのかなって・・・

 同じセリフを言ったよ」

 

「私・・・

 2回目の登山は

 つきあわない!

 絶対に!!

 今回が最初で最後よ」

 

苦しい息の下で

懸命に言い張るところが

可愛いい。

 

「ま・・・

 山を好きになってくれとも

 思わないから・・・

 いいよ。

 しばらく休もう

 ここで。

 見晴らしもいいし・・・」

 

本格的にリュックをほどき

氷砂糖の袋を破き

彼女の口の中に

一粒放りこむ。

 

来た道を覗いても

もはや猫の姿はない。

野良猫すら

迷い込まないほど

山中深く入った高台に

俺たちはいた。

目の前には

白雪を中腹まで抱く富士山が

くっきり荘厳な姿を見せている。

眼下には

キラキラと輝く

小さな沢の細い水脈が輝き

村の家と鯉のぼりが

箱庭のように見える。

 

標識はないが

富士見台と呼んでもいい

広場のような土地である。

 

氷砂糖を

口の中で転がしなから

少し元気を取り戻した彼女は

ゆっくりと立ち上がり

大きく深呼吸して

近づいてくる。

キョロキョロと

周囲を見回して

 

「う~ん、絶景!!

 ちょっとだけ気に入ったヨ。

 富士山って

 やっぱりすっごくいいねぇ。

 この氷砂糖も

 甘くて美味しい。

 風も気持ちいいし。

 歩く苦しささえなかったら

 登山大好きって

 言えるけど・・・。

 ビューンと一気に

 頂上まで行く方法

 ないのかなァ~」

 

「まぁ・・・乗

 鞍岳とか御岳山とか

 登山ブームに湧く山なら

 殆ど頂上近くまで

 バスやロープウェイが

 いっているところもあるよ。

 ハイヒールで10分歩くだけで

 頂上みたいな山も

 いくつかあるけど・・・。

 この八ヶ岳は無理だな・・・

 女の子には

 優しくない山なんだ。

 下から一歩一歩あるいて

 八つの峰を走破しなくちゃ・・・

 そういう辛い山なんだ・・・」

 

「・・・そうなの

 こんな素敵な景色が見れるのなら

 あの2時間の苦しさも

 仕方ないかなって

 妥協しかけていたけど・・・。

 この先・・・

 自信ない・・・んだ

 ・・・ごめんなさい」

 

「謝るのは俺のほうだ。

 山登りは初めてなのに

 辛かったよな。

 さっき猫の件で

 俺も動転してしまって

 逃げるように登ってしまった。

 キミの体調も忘れてさァ・・・

 ごめんな!!!

 もう少し休んだら帰ろう。

 別に頂上に立たなきゃいけない

 義理もないしさァ」

 

「いいよ・・・

ゆっくりだったら

私も頑張るから・・・

登っていいよ」

 

「ダメだよ!!

 下山する・・・隊長は俺だぜ。

 猫のことは、もう気にするな。

 邪魔するなら

 どんなことをしてでも

 通ってやる」

 

心の底から

ものすごく暴力的な

エネルギーが湧き上がり

戦闘意欲が異常興奮に

昇華していくのが

我ながらわかる。

なんで昨夜から

怪しげな猫たちに

振り回されなきゃいけないんだ。

俺たち2人が

一体どんな悪いことを

猫にしたというのか。

なにもしていない。

不当な目に、不条理なひどい目に

あわされる理由なんて

なにひとつない。

怒りがフツフツと湧いてくる。

俺の中の怒りと変化を

心で受けとめて

 

「そうだよね・・・

 私だって反撃するよ。

 猫をポコント叩いちゃう

 あはは」

 

拳を振りあげて笑う顔が愛おしい。

富士山の方から

吹き降りてくる爽やかな風が

急に冷たい流れに

微妙に変化した。

白い霧のような流れが

下方の視界を覆っていく。

もの凄いスピードで

煌めく沢や、村の鯉のぼりが

ミルク色の

霧とも雲ともつかぬものに

覆われていく。

また・・・異様ななにかが

起こり始めている。

 

「クソッ!!!

 今度こそは許さん・・・」

 

腹を固めた瞬間

水の中に巨大なドライアイスを

ぶち込んだような

モクモクと凄まじい入道雲が

顔前に発生したような

霧とも雲ともつかぬ

白い集団が300mは下の沢から

湧きたち舞いあがってくる。

恐怖映画やSFのモンスター

エイリアン登場と同じ

奇怪なシーンだ。

 

リュックを締め

背中に背負い込み

彼女の腕を掴む。

広っぱの端っこに

直径3mはある古木が見える。

ウもスもない彼女と一緒に

その大樹に向かって走った。

樹齢200年以上の木ではあるが

雷に何度も打たれたのか

木の上は引き裂かれ

根元には

大きな空洞ができている。

2人でいっぱいになる

その洞穴のような

空間に身を寄せて

次になにが襲ってくるとしても

背後だけは木を背にすれば

対処できる。

広い場所で煙に巻かれて

離れ離れになることだけは

避けられる。

考えられる最善の手段は

これしかない。

彼女を洞穴の後ろにかばい

20kgの大きなリュックを

前面に出して防壁にする。

 

「俺が絶対守るから・・・

心配するな!」

 

さっき言ったことを

彼女にもう一度繰り返した。

守れる根拠は

なにひとつないけれど・・・

なにが起こるかさえ

わからないけれど・・・

俺の18年の人生の中で

これ程、断定的に言えるのも

爽快だと酔った。

うんうんと

彼女もキラキラする目を

いっぱいに見開き

2度も頷いてくれる。

オリンピックで

金メダルをとったとしても

100mで6分の

世界新記録を出したとしても

今以上の興奮と感激は

ないだろう・・・と思う。

アッという間もなく

白い霧とも雲ともつかぬ

得体の知れない白い怪奇は

俺たちを取り巻き

さらに上空へと

竜巻のように舞い上がり・・・

青空を一瞬のうちに覆っていく。

 

見渡す限りの

白一色の世界・・・

しかもかなり濃密な霧である。

牛乳瓶の中に

落ちてしまった状況みたいだ。

急に温度が下がり

冬のようだ。

白一色というよりも

目の中に白しかないのである。

手をまっすぐに伸ばしてみた・・・

なんと我が目を疑った。

伸ばした自分の手の先端にある

手首が白の中に入って見えないのだ。

手首のない長袖シャツの

袖が見える。

視界60cmというところだ。

このような状況は

勿論、経験もなく

聞いたこともない世界。

真横にいる彼女に見せると

 

「スッゴ~イ・・・

 初めて・・・」

 

少し嬉しそうに話す

彼女の言葉に勇気づけられる。

 

ピカピカッ

 

上空に真っ赤な光が

閃光となって走る。

 

ドカーン

 

身体中が痺れる大音響と共に

目前に巨大な火柱が立つ。

雷は柔な代物ではない。

撃たれたらひとたまりもない

ゴージャスな奴だ。

 

ドカーン

ガラガラ

ドカーン

 

電撃と雷が

永遠に続くように思われるほど

強烈な音で鳴り響く。

目の前で

花火工場と火薬弾が

次々と爆発しているのを

黙って見ているような心境だ。

恐怖も限界を超えると

実はなんでもなくなるものだと知った。

 

ザーッと凄まじい雨が

バケツどころか

プールの底が抜けたように

襲いかかる。

老木の洞穴にいる俺たちは

濡れないですんではいるが

水の中に住んでいるような

心持ちだ。

ここまで異変が連続すると

俺たち2人とも

妙に明るくなってしまう。

 

「すごいね~あはは」

 

「ほんとだな~あはは」

 

豪勢かつ壮絶で強烈な豪雨は

延々と続く。

雨の勢いに打たれて

ミルク状の白い霧は

嘘のように晴れていく。

時計を見る余裕などまるでなく

時間の経緯は不明だが

1時間は経っていない。

おそらく30分ぐらいだろう。

 

雨が少し小止みになってくると

うっすら煙のように

立ち込める霧の中に

 

シャンシャンシャン

ドンドドン

ピーヒャララ

 

えも言われぬ

日本の祭り囃そのものの音曲が

ゆっくりと大きく

拡がってくる。

横笛、太鼓、鈴の音と三味線の

4つのハーモニーが

伸びやかに三拍子で聞こえてくる。

「耳の迷いじゃないよね・・・

 お祭りのお囃子・・・」

 

「俺も聞こえる・・・

 キミだけじゃない・・・

 次にニャにが始まるんニャ?!」

 

2人で笑いころげる。

 

とんでもないものが

山道の向こうから・・・

いや、正確には我々が

今まで登ってきた細い道と

これから登るはずであった

上へ向かう道の両方から現れた。

 

もう~これはミラクルだ。

中学生ぐらいの身長の猫たちが

舞妓さんのような

芸者さんのような

金襴緞子の古めかしい和服を着て

立ったまま踊りながら

上方と下方から

ゾロゾロと入場行進である。

10匹や20匹ではない。

カウントしてみたが

呆然として勘定不能だ。

 

左手には房になった

銀の鈴を持ち

シャンシャンと拍子をとり

右手には長さ60cm位の

笹の枝の束を持っている。

体を曲げ

腰で調子をとりながら

盆踊りさながらに

ゆっくりと数十匹が行進してくる。

 

我々の目前

数メートルのところで

ふたつの隊列はひとつになり

二重三重の輪になって

シャンシャン、ドドンと

同心円で舞い踊る。

顔も手も足も、正真正銘の猫。

小さい虎友言うべき

かなりの大きさだ。

コテコテの金地に

銀入りの色とりどりの和服を着て

まるでラインダンスを

踊っているかのように

舞い踊る。

それも恍惚とした

ネコナデ顔で踊っている。

 

俺たちの存在は

まったく眼中になく

まるで存在そのものを

無視されているかのようでもある。

 

「ねぇねぇ

 こぶとり爺さんのお話と

 似てない?!」

 

もはや怖いものなしの彼女は

柔らかい表情で話しかけてくる。

 

「お爺さんが、夕立を避けて

 山の中の木の洞穴で

 つい寝てしまいました。

 ふと気がつくと

 外では鬼たちの大宴会・・・

 踊れや歌えやの大騒ぎ

 ってやつかァ・・・」

 

「ピンポーン!

 それそれ!!」

「踊りの大好きな爺さん

 つい血が騒ぎ、飛び出して

 鬼に自慢のダンスを披露しました。

 ヤンヤヤンヤの

 喝采を浴びて・・・つうのね。

 俺は、猫と一緒に

 踊りませんよ・・・

 ダンスも下手だしな。

 高校時代のフォークダンスでも

 リズも音痴で

 悲惨だったからな」

 

「へぇ~っ、そうなんだ。

 かなり上手そうに思ったけど・・・。

 私は上手いよ。

 幼稚園の頃から、一応

 日本舞踊の手ほどきを

 受けたんだ。

 準師範の免許も持ってますよォ~」

 

「すごいな~じゃあ

 猫さんに混じって

 褒められたら~?!」

 

「ヤダヨ~ッ!」

 

冗談を言っている

場合じゃないのだろうが

不思議なことに

危険は一切感じない。

これだけ奇妙奇天烈な

情景が展開しながらも

猫たちの

退屈なダンスを見ていると

妙に心が和んでいた。

なにか温かいものが

流れている雰囲気すらする。

 

「おむすびころりん

 という話にも似てないかァ?!」

 

今度は、逆に俺が言うと、彼女は

 

「山の中に穴があって

 お爺さんがお弁当のおにぎりを

 落としてしまうんだよね。

 おむすびころりんすってんてん

 という楽しそうな歌声が

 穴の中から響いてきて

 お爺さんは次々と

 おむすびを投げ込むんだよね。

 最後には自分も

 入っていくんだよね」

 

「じいさんころりんすってんてん

 という歌声と共に

 そこはネズミたちの世界。

 ネズミ浄土がありました

 っていう話だよ」

 

「私たちの目の前にいるのは

 猫でしょ!!

 ネズミの天敵だよ。

 どこが似てるの?!」

 

「そうだよな。

 でも、俺が昔読んだ

 絵本の挿絵はさぁ、

 ネズミがみんな着物を着ていて

 目の前の情景そっくりで

 こんな雰囲気だったからさァ・・・

 殿様ネズミが

 御殿女中ネズミに囲まれてて・・・

 うん・・・」

 

「それって、ポプラ社の

 日本昔話でしょ。

 私も見たんだ。

 うんうん、知ってる知ってる」

 

こんなところで

愛読者共感の会を

している場合でもない。

 

シャンシャンシャシャシャン

 

リズムが早い二拍子に変わり

三重なった猫踊りの輪が

凄まじいスピードで

輪になりながら舞い始めた。

鈴をふり、笹の枝で

輪の中心の大地を叩く。

まるでインディアンや

タヒチのダンスのような

激しい動きに変わる。

二拍子で交互に

笹の先端で叩かれる度に

大地に激しい火花が散り

円の中心部分が溶鉱炉のように

真っ赤に輝き瞬き

ドクドクと心臓のような音をたてる。

 

シャンシャシャンと

激しいリズムに乗って

メリメリーッという

大地を引き裂く音と共に

赤くメラメラと燃える

大地を突き破って

白い巨大な物体が

吐き出されるように

せりあがってくる。

直径3m高さ3mはある

超巨大な白いタマゴが

忽然と登場した。

 

「奇麗なタマゴだァ~ッ」

 

嬉しそうに心からほほ笑む彼女。

 

「あの時・・・

 2人で見つめていたタマゴ・・・?!

 なんだかとてつもなく

 大きいけどな・・・」

 

「おでん屋のおばさんが

 入れてくれたタマゴかな・・・

 それとも

 コンビニのタマゴかな・・・?!

 どっちなのかわからないね・・・」

 

「オマエは不思議なところに

 拘るなぁ。

 どっちかだとまずいわけ?!」

 

「コンビニの方がまずい・・・

 だってだし汁の年季が違うもの・・・

 おでん屋さんは秘伝の汁よ。

 おばさんの自慢だもの」

 

「それは旨いまずいでしょ・・・?!」

 

「そうよ。

 まずいのはどっちって

 聞いたでしょ?!」

 

完全に彼女ははずしているのか・・・

いや、この拘りは彼女の

最も彼女らしい

素敵な感性なのか・・・

たぶん・・・

素敵な感性なのだろう。

男と違って

女として一番魅力的な・・・

少なくとも俺にとっては・・・

考えと拘りだと思う。

そしてこの感性が

2人が喧嘩し対立するときの

必要十分条件にもなると確信した。

 

白いタマゴの周りを

神を崇めるように

着物姿の猫たちは

激しく単調に

笹で大地を叩き

踊り回転する。

タマゴのド真ん中の部分が光り輝き

黒い小さなシルエットが

影絵のように現れた。

姿からみて

小さな男の子と女の子。

それぞれが並んで立ち上がり

ヨチヨチ歩きをしたかと思うと

跳ねて飛びを繰り返す。

なにやらペラペラ漫画のような

コマ送りの影絵をみているように

ふたりはすくすくと成長していく。

2歳から小学生、そして中学生へと

あれよあれよという間に

男の子と女の子のシルエットは

大きくなっていく。

どこかで見た

懐かしい気持ちにもなるのだが

黒一色で表情やディティールが

わからない男の子と女の子なのである。

 

ピカッとタマゴが光った瞬間

影は実態に変化した。

 

夕闇を走る自転車の男の子が

女の子に激突。

宙を飛ぶおでんのタネ。

アスファルトに叩きつけられる

おでんのタマゴ。

そうかと思えば

千鳥ヶ淵の桜吹雪の中に

肩を寄せ合って佇むふたり。

桜の花びらが

雪のようにふたりを包む。

 

また場面は変わり

新宿発の夜行列車で

肩をもたれあって眠るふたり。

 

「俺たち・・・!!!」

 

「だよねっ!!!」

 

ふたりで見つめあい

口をあんぐりと開ける

・・・しかない。

 

一瞬、一コマずつの

映像というよりも

スチル写真が次々と

早回しのスライドのように

もの凄い速さで

流れていくような感じだ。

おそらく、数十秒で

すべてが流れていったと思う。

 

場所は不明・・・

小さな神社の杜に

両手を合わせる2人。

神主さまが

お祓いをしてくれている・・・

どうやらふたりだけの

結婚式なのか・・・

なにか別の祈願なのか・・・。

 

赤ん坊を抱いて

ベットで眠る彼女。

汗ビッショリの出産を

励ますように

俺が彼女の髪を撫でている。

 

事態は一変し

成功(サクセス)・・・

大成功なのか・・・。

敷地も広い

豪華な邸宅の庭で

男女の幼児ふたりと

楽しく遊ぶ一家4人。

とても裕福な家庭だ。

 

激しく罵り合うふたり。

どうやら俺の仕事が

忙しすぎているのが原因のようだ。

 

まだまだ場面は

めまぐるしく変わっていった。

何度も何度も

場面は一変した。

 

今度は

得体の知れない大きな会場。

ステージでは大歓声、大拍手の嵐。

輝かしいスポットライトをあびて

両手を高々とあげる俺は

傍にいる彼女の手を取り

誇らしげに紹介する。

照れたように笑う彼女も

少し歳を重ねている。

 

次に繰り広げられた場面は

イタリアかスペインか

どこだかはわからぬが

ヨーロッパの山岳地帯の

別荘地のようだった。

ワインを片手に椅子を寄せて

山を見る老男老女。

この暮らしができるのは

まあまあの晩年だろう。

大きな夕陽が赤く燃えて

山端へ沈んでいく。

その光景を

ぼんやりと見つめるふたり。

どちらも安らかなほほ笑みを浮かべ

ほとんど記憶を失った世界。

数人の子供たちが

いたずらっぽく近寄り

椅子を揺するが

応答しないふたり。

子供達が驚いて声をあげる。

多分、孫たちなのだろう。

父母たちが駆けつけ

ふたりのくずれた体を抱き起こし

涙を流す。

ふたりを取り巻くように

一瞬

夕陽の赤い色が大きく輝き・・・

そして消えていく・・・。

 

白いたまごのスクリーンも

猫たちも消えた。

嘘のような静けさと

濡れた大地の風景だけが

そこにあった。

霧も緩やかに流れ去っていく。

 

「こ・・・これって・・・

 私たちのことなの?!」

 

「そうらしい・・・

 人生の終わりまで

 見ちゃったわけだ・・・」

 

確かに、仲々に出来の良い

映画を観ている気分だった。

1800円の入場料を払って

予想外に良かったな・・・

と思う映画が、時々ある。

そんな雰囲気に浸ってしまった。

息もつかせぬ大感動と興奮の連続。

エンドマークが出てからも

座席にぐったり沈み込み

立ち上がれぬほどの

名画ではないが

ヤマなし、オチなし、意味なし

役者は大根、監督・脚本はいまひとつ

途中から席を立ちたくなるほどの

退屈さで「バカヤロー金かえせーっ」

と喚く程の駄作でもない。

 

自分が主演のドラマでありながら

他人事の面白い映画として

観てしまったのである。

彼女と一緒に・・・。

「それで・・・

 ご感想は?!」

 

彼女が、興味津々の顔で

質問してきた。

 

「・・・む!!

 きたきた!!!」

 

女の子と映画やビデオを観たあと

必ずと言っていいほどの

このリアクション。

血も凍る恐怖のホラー映画の場合は

流石にこの手の質問は

聞いたことはない。

質問する前に

絶叫と神経が逆立つ怖さに

すべてのエネルギーを

使い果たしているからだが・・・。

まあ・・・

数少ないデートの経験に於いて

この質問の答え方で

失敗した例が多い気がする。

「スターウォーズ」や「タイタニック」

のような超娯楽映画は

その点、かなり楽だと言える。

とにかくお互い、愉快痛快になるか

本編のラブラブモードに

ひたっているかなので

もうあらん限りの美辞麗句。

すごい感動と楽しさを

お互い確認し合えばいいわけだ。

制作者も

観た人の後味を重視して

丁寧に作ってくれているのは

ひじょうに助かるわけだ。

ところが、人種の問題、親子の断絶

兄弟の葛藤、愛憎劇

男の生き方、女の生き方など

いわゆるテーマ重視の作品となると

女の子から質問が数多く飛びだし

かなり困ってしまう。

鑑賞後の会話が成立しない時が多い。

下手な感想を言えば

己の人格が疑われるし

感想なしではな

にも感じない男としての扱いになる。

問題作、マイナーな感動作を観た後の

男女の会話は

そのコミュニケーションそのものが

ギクシャクし、挙げ句の果てには

壊れてしまったカップルや人間関係は

結構多いような気がする。

 

「・・・ん・・・感想ね・・・

 正直、俺は面白かった。

 今の俺からみて

 けっこうイケてる人生だなって・・・

 もっと冴えない一生を

 送るんじゃないかと

 思っていたから・・・」

 

正直すぎたかもしれない

彼女になにを言っても

ズバッズバットくるはずだから

素直に感想を述べ

お返しの質問をした。

かなり興味深い瞬間である。

 

「キミは?!」

 

「この運命の脚本(シナリオ)を

 書き換えなきゃいけないな・・・と。

 うん・・・気に入らないところが

 あるのよネ。それはやっぱり

 直さなくてはいけないと思うのね」

 

「あ・・・

 俺がめちゃくちゃ仕事が忙しくて

 キミをほったらかしに

 していたこと・・・?!」

 

「ああ・・・それはいいのよ。

 お仕事だもの。

 私の理解力の問題だもの。

 でもね、私・・・

 そのことをすんなりと

 許しているでしょ。

 それはちょっと違うかなって・・・」

 

「・・・じゃあ・・

 別れちゃうわけ?!」

 

「ううん・・・

 あなたの仕事の忙しさの

 私の受け入れ方が違うの。

 なにかを受け入れて

 乗り越えていく・・・

 そのやり方が

 私とは違うなって・・・」

「す・・・すごいなァ・・・

 かなり深い観方を

 してるんだな・・・

 俺はアッサリだ。

 凄いとは思っただけで

 ダメ出しや直しなんて

 考えもしなかったな。

 それでも、観たままの一生を

 そのまま送ってしまうのも

 つまらないといえば

 つまらないか・・・

 う~ん・・・

 まぁ・・・でも・・・

 俺はかなり気に入った

 ストーリーではあるけどね」

 

「私も好きよ・・・この話は。

 だいぶ省略があるから

 細かいところはきちんと

 あなたとうめていきたい気は

 しているよ」

 

大きな瞳を目一杯輝かせて

彼女は俺を見つめる。

 

俺は視界50cmの彼女を

思いっきり抱き寄せ

唇をふさいだ。

簡単なキスだったが

とてつもなく大きく重いものが

稲妻の如くふたりの体に流れた。

幻視であれ、イリュージョンであれ

ふたりが無理やり見せられてしまった

これからの果てしない人生の

総集編のような映像。

それを再現して

スタートさせるために

一から出発するための

最初の一歩である。

 

18歳と16歳がひとつになって

これから何十年と続く

生命と愛を確認するために。

その映像は

ほんの一瞬だったのか

とてつもなく長い時間だったのか。

体中が熱湯を浴びたような

ピリピリとした痺れがあった。

数万ボルトの

電撃に打たれたような衝撃が

全身の末端まで走り抜く。

 

「好き・・・」

 

小さく呟いて

俺の腕の中に

潜り込んでくる

小さな体の彼女を

俺はあらん限りの力で

抱きしめた。

 

チチチッと

木立と樹々の間を

名も知らぬ数羽の鳥が

囁き声をあげて

飛び交っている。

ぬけるような青空を

突き刺すかの如く

何本かの大樹が

新緑の葉をいっぱいに拡げ

天に向かって立っている。

俺たちふたりは

しっかりと抱き合いながら

5月の心地よい風が森を吹きぬけ

チラチラと揺れる

木漏れ日の中にいた。

狐に包まれた気分だが

おそらくこれが真実なのだろう。

俺も彼女も抱きあったまま

ぼんやりと周囲を見渡した。

 

「ねぇ・・・あの・・・

 着物を着て踊っていた

 猫さんたちは

 どこへ行ったの・・・かしら?!」

 

「ああ・・・笹の葉を持って

 盆踊りのような

 踊りを踊っていた猫たちは・・・

 なんだったのかな・・・

 少なくとも百匹はいた・・・

 俺・・・

 65匹までは数えたから」

 

「エライ!!

 あの異常な状況の中で

 猫の数を数えていたんだァ。

 そう言えば、前の猫の集会の時・・・

 あの新宿のトイレの時も

 13匹って数だけしっかり

 数えていたよね。

 特殊本能かな?!」

 

「理数系はダメなのにな・・・

 う~ん・・・

 なんでかな・・・

 いつも数だけは

 数えているなァ・・・」

 

「ねぇねぇ~あの大きなたまごは

 おでんのたまごが

 成長したのかな?

 おでん屋さんのたまごかな・・・

 コンビニのたまごかな・・・?!」

 

俺の胸と腕の中で

クックっと肩を小刻みに震わせて

体ごと笑いながら

幸せそうに次々と

質問をぶつけてくる彼女だが

答えられるわけもない。

全部きちんと説明できれば

ノーベル化学賞と物理学賞は

いただけるテーマである。

 

「それって・・・

 俺に答えを求めていないよね?!

 わかるはずないよ。

 でも・・・俺ひとつだけ・・・

 多分だけど・・・

 猫は未来・・・将来の運命に

 関係していることは間違いないな!」

 

「そんなの~ここまでくれば

 私だってわかるよ~ん」

 

「そ・・・そうだなよな・・・

 勢いよくいうことのほどでも

 なかった・・・か」

 

「・・・なかったなかった!」

 

彼女はゆっくりと笑う。

 

「ね・・猫の数が多い時は

 何十年も先の未来・・・

 将来像を示している。

 少ない時は、ほんの先のこと。

 例えば明日とか、3ヶ月先とか・・・。

 こ・・・これも正しいでしょ?!」

 

「1000匹の猫が登場したら

 地球や宇宙の未来将来像が

 わかっちゃうのかな。

 でも・・・

 知っていてもどうにもならないね」

 

「そうだなァ・・・

 俺たちの未来将来像が

 見えちゃっただけでも

 充分に手こずっているもんなァ・・・

 どうしたものかって・・・」

「アカシックレコードって

 聞いたことある?!」

 

「モーツァルトとか

 ハイドとかでしょ?!」

 

「それはクラシックレコードでしょ。

 世界のすべての人間の運命を

 書いた記録があるらしい」

 

「ねぇ・・・

 ひとり一冊の本なの?」

 

「多分・・・

 75億冊の個人誌が秘蔵された

 図書館があるんだ。

 この世界のどこかに」

 

「人類が誕生して以来だとしたら

 その10倍・・・

 もっともっとあるかな・・・

 すごい量だよね」

 

「ひとりの人生が終わったら

 消えちゃうとか

 捨てちゃうとか・・・

 本というかたちじゃないかもな。

 ROMとかマイクロチップとか・・・

 人間の60兆の細胞を

 抑制(コントロール)している

 遺伝子の配列みたいに

 小さく凝縮された世界かもな」

 

「人間だけじゃないでしょ。

 植物も動物も虫も

 全部記録されていなくては

 不公平だわ。

 あの笹を持って踊っていた

 猫さんたちにも・・・

 あるでしょ、一匹ずつ・・・

 ドラマチックな一生が・・・」

 

「そうだよな・・・

 でも、そのひとつずつの

 生命(いのち)の歴史って・・・

 誰が書くのかな。

 毎日誕生する生命は

 何十億もあるだろう・・・

 虫や微生物まで入れたら・・・

 もっとかなァ・・・

 ものすごい腕の

 プログラマーやライターが必要だよな」

 

「神様・・・だとしても

 忙しすぎるよね・・・

 まっ・・・それが出来るから

 神様なのかなァ・・・」

 

「とりあえず、誰が作っているかは

 横に置いといて。

 本かROMか・・・例えば

 ビデオテープみたいなものが

 あるとしよう。

 アカシックレコードは

 それぞれの人生を収録した

 運命のテープね。

 それを見るレコーダーが

 あの大きいたまごなんじゃないかな。

 ふたり分・・・

 いや、俺たちに関わってくる

 人間全部の記録を

 ミキシング出来る

 高性能再生機ってことだよ、きっと」

「へぇ~っタマゴレコーダーか・・・

 じゃあ~そのエネルギーは

 笹の枝と葉・・・

 シャンシャンって

 猫さんたちが振っていた

 アレかな?!

 パンダの大好物って

 笹でしょ。

 それと関係あるのかな」

 

「それは全然

 関係ないでしょ・・・!」

 

彼女の頭の中の回路は

どうなっているのか・・・

たまに不思議な洞察をする。

それが妙に真意を

ついていたりする時もあるので

俺は、もしかしたらパンダと

関係しているのかも知れない・・・

と思った。

 

チチッと甲高い小鳥の鳴き声。

上の方から中年の一団が

数名下山している。

 

「こんにちはァ」

「こんにちはァ」

 

皆、笑顔で

弾むような声をかけてくる。

俺たちは

ふたりいっしょに

 

「こんにちはァ」

 

動くこともせず

ただ笑顔で挨拶した。

 

彼女はずっと

俺の腕の中だった。

 

 

(おわり)


「未来のシナリオ」を

お読み下さいまして

ありがとうございました。

 

お読みくださったあなたに

少しでも

勇気希望

お届けできたら嬉しいかぎりです。

 

 

 

~感謝を込めて~

 

未来メディアアーティストMitsue