縄文の風の中
〜この緑の中へ〜
その頃ぼく達は
風の流れ(メロディー)の中に
生きていた。
風の心、風の流れを知ることが
人生のすべてだった。
動物を倒し
狩猟で糧を得るということは
風が命なのだ。
捕まえたい獲物の風下に立ち
ヒタヒタと追いつめる。
ふとした気まぐれで
風向きが変わる。
偶然であれ
我々が風上に回ってしまうと
敏感な奴らは
一目散に逃げてしまう。
5日も6日も追跡した末
あと十数メートルで
打ち倒せるというその瞬間に
風のいたずらですべてを失い去る
苦い経験も度々した。
夏草がうっとおしいほど生い茂り
我々の行く手を
緑で埋めつくしていた。
見渡す限りの大草原だ。
緑の草は我々の腰丈を
はるかに超える高さがあった。
振り返れば
我々の棲み家のある山々が
夏の雲に覆われて
はるか遠くに
ぼんやり眺められる。
八ヶ岳連峰と
今はそう呼ばれている
聖なる山。
およそ4万年前に
八ヶ岳は突然の地殻隆起と
火山の大爆発によって出現した。
日本を代表する
雄大な富士山ですら
未だ地平線上に影も形もなく
アジア大陸と日本が
地続きであった。
そう…太古の時代のことだ。
紀元前5万年
氷河期は、その言葉と文字面から
マイナス50度近い極寒の限界状況。
人々は洞窟の奥に
震えながら身を潜ませ
体を寄せ合って
寒さをしのいでいたように
考えられているが
それはまったくの誤解なのである。
確かに
アジア・ユーラシア大陸の中央部や
北極に近い地域は
現在の何百倍もの大量の氷に
覆われた極寒の地であった。
とても人など棲める場所ではない。
地質学とコンピューター分析の
進歩で現在わかったことがある。
例えば、日本という地域に限って言えば
20世紀の年間平均気温は
現代よりも6~10度ほど低い。
南の九州あたりが
東北から北海道南部と
同じ寒さであったと思えば
わかりやすい。
むしろ、間氷河期のデータを見れば
現在の気温より
やや高めの時すらあるのだ。
1950年代
戦禍で荒廃して戦後の焼け跡で
日本人はすきま風の吹き込む
木造バラックに住み
ろくな暖房もない冬を過ごしていた。
おそらくあの当時の寒さは
氷河期より厳しく
時には数段寒かったと思う。
我々はと言ったが7人1組チームで
3ヶ月分の干肉が楽に得られる
ナウマン像狩猟隊を編成していた。
普通サイズを倒すなら
7人1組編成で充分だ。
少し手強い超500キロ級の相手だと
13人1組という編成になる。
全員でヒタヒタと包囲して
3人が右手3人が左手から
崖の方向へ追い立てる。
追い詰められたナウマン象は
必死で逃走し
崖で行き止まった瞬間に
はるか数十メートルの崖の上から
リーダーが20キロを越す
大きな石を抱えて
ドカーンと
ナウマン象の脳天に
一撃で撃砕。
ビルの4階から
20キロの石を落とせば
確実に頭が割れる。
100キロ近い重力が加わるのだ。
その一瞬
両サイドから
石の槍でメッタ刺しで
ナウマン象は一巻の終わりである。
13人チームの場合は
両翼を6人ずつで攻める
と言えば簡単だが
攻撃が始まった瞬間から
ナウマン象は
当然、狂気の大暴れ。
左右へ逃げようと
全力で我々に体当たりする。
大人しく追い詰められて
撲殺される
素直な性格のナウマン象など
勿論いない。
毎回の狩猟で
個人という概念が
今ほどにはなかったかもしれない。
人々は
隣あった細胞の組織のように
一つのテーマへ向かい
一丸となって進み動いた。
個人一人一人の
生病老死や喜怒哀楽には
まったく無頓着。
ましてや
ひとり個人財産や
各々の地位名誉などに
思い至る人間など
一人もいなかった。
言葉という表現も
頭の骨格や
顎の骨も違い
音にちかい発声しか
できなかった。
母音だけでできた言語。
子音の少ない
叫びにちかい言葉で
感情を表現し
気持ちを通じあわせていた。
多分、それ以上に
言葉に頼る必要もないくらい
意識と意識
魂が呼びかけあって
動く社会だったように思う。
とうとう奴等と対決する時が
目前に迫った。
風の中に彼等の群の匂いを
うっすらと嗅ぎとり
迷いながら4日間
追ってきた甲斐があったというものだ。
300mほど先に
ナウマン象の家族4頭が見える。
600kgの巨大な父象をやっつければ
母象は逃げても
子象2頭で3頭は手に入る。
思わずよだれがこぼれそうな
美味しい仕事である。
リーダのアモの作戦司令が
チーム全員の心に
電流の如く激しく突き刺さる。
ボクは2人のチームと共に右サイド
ヤホたち5名が左サイドからの
攻撃となった。
草の中を、正面200mの崖に向けて
素早く風下へと、アモは走り抜けていき
意識のかけ声を、打ち込んでいく。
キーボードで文字を打ち込むと
モニターに文字が現れるように
我々の心の中に、鮮やかなリーダーの
意識が印字される。
そうなのだ!
魂のタイピングが心のモニターに
正確に打ち込まれるのだ。
「我々はかつて
だれもがやったことのない
偉大な挑戦をしたい。
600kg級の大物を
7人チームで襲撃したことはない。
最低でも13人チームの仕事だ。
だが今回ばかりはやってみよう。
魂をひとつにして、象の肝を覗こう。
ほら、体は大きいが
稀にみる臆病者だ。
今こそ一丸となって、祖父も父も
偉大な先祖様誰ひとりとして
出来なかった大記録に
挑める日がきたのだ。
我々なら出来る!
子供や孫たちに語り伝えられる
素晴らしい狩の物語を
今こそ打ちたてるんだ!
いいな!!」
アモは魂のネットワークで
我々に語り続けつつも
もう崖の中腹までスルスルと
猿のような身軽さで登っていた。
トントトン
タンタタン
生と死を賭けた
確実なリズムが
草原の風にのって
遠く近くに流れていく。
ピーピーッピピ
ピーピーッピピ
崖の上のアモが突然
巨石にに足を置いたまま
オカリナのような土笛で
勇壮だが
どこか哀しげな
メロディーラインを
思いっきり高音で
唄いあげる。
ナウマン象にとって
この世で聞く
最後の葬送行進曲の
クライマックスに。
我々にとっては
大勝利と
史上最高の伝説を想像する
勇気に満ちた曲となろう。
一歩間違えば
逆に我々全員の
凄絶な敗北と
死の曲にとなり
ナウマン象にとっては
人間壊滅の
テーマ曲になりかねない。
その可能性も
紙一重の差で
存在するのだ。
7人の意識の中には
失敗のシの字すらなかった。
突然に
大草原に鳴り響く
笛と太鼓のリズム。
己を包囲した
6人の嫌らしい
敵たる人間。
父象は
妻と子供達に
「オレにまかせてくれ」
とサインを送り
振り向きざま
凶暴・凶悪の
百獣の大魔王に変化した。
ウ・・ウォーン
と、長い鼻を天高くあげて
ドドドーッ
と前へ進む。
トントトン
タンタタン
太鼓の音も
高く大きく
我々は全力で
ナウマン象を追い
崖の方へと追いつめる。
怒りに発狂しながら
600kgの巨象は
今や自分の眼下に
猛スピードで
つつ込んでくるではないか!!
8歳の春
このゲームに初参加した。
それからは
年に数回
一族全員の腹を満たすため
そして勿論
戦いの幸福感を求めて
男なら誰もが誇りを持ち
やり遂げるべき
崇高にして壮絶な
【狩猟】というゲーム。
最悪の気候である厳寒のため
狩猟はたった一度しか
できない年もあった。
ただ一頭の獲物で
細々と
ひもじい中で暮らした
あの年の冬は
いかにも辛かった。
食料の不足は
いつも弱者にしか
影響を与えない。
忘れもしなし10歳の年
一年中氷に閉ざされ
外へ一歩も
出ることができず
動物の姿も
視界から消え去り
たった1回の狩の獲物は
小さな鹿だった。
その肉の量では
雑草や草の根などを
必死に探し食べても
皆、飢えて瘦せ細り
年寄りや赤ん坊と
弱いものから
命を落とすこととなった。
多くの一族が
バタバタと餓死し
アモの4歳年下の
弟アミが
骨と皮に変わり
夏にこの世を去った。
生まれたばかりの
未だ名前も手にしていない妹は
10分ともたずに
この世を去った。
一族の中で
老人と子供たちが
骨と皮のように痩せ衰え
18人もこの世を去った。
アモ自身も腰が抜け
空腹で立つこともできず
枯れた草原を
虚ろに眺め続けた。
あの時の体の痛み
空腹の気の遠くなる激痛は
今でも時々
夢に現れうなされる。
しかし
その後の4年間は
奇跡とも言える
豊かな実りの年が続き
一族の笑顔が
眩しいほど輝く日々の
連続だった。
ラッキーだったと思う。
共に戦い
参加した仲間で
30人ほどが
ナウマン象の牙にかけられ
踏みつぶされていく姿を
目の前で
何度も見ることになった。
大怪我をした仲間の頭を
その場で石で割り
名誉ある死を与える時も
目を見開き
脳裏に焼きつけた。
その勇者の
遺体と勇気を食べることは
祈りであり
勇気を抱く
重大な儀式なのだ。
アモは
いちばん可愛がってくれた
2歳年上のワオから
技のすべてを教わった。
ワオは元気一杯
いつも
「ワオーワオーッ」
と叫びながら
走る回るのがクセの
陽気なヤツだ。
地面に叩きつけられた時も
血ヘドを口から吐きつつ
「ワオーッ」
と笑った。
アモは咄嗟に
思いっきり大きな石を掴み
ワオの顔面に叩き込んだ。
グシャッという音がして
ワオの顔は血の中に砕けた。
「ワァオ・・・ッ」
と断末魔の声をあげ
アモを見て
血の肉の塊になってまでも
ほほ笑んでいたワオ。
その肋を
思いっきり切りとり
ついた肉をしゃぶってやる。
誇り高き陽気であったワオよ!!!
俺はワオを越す勇者になる!!!
俺は必ずなれる!!!
アモの体の中に
ワオの血と肉と勇気が
ドクドクドクと音をたてて
体中に流れ込むのがわかった。
ガオーン
ナウマン象は右へよれて
膝はつくように倒れる。
この空前の窮地に
草の塊に
足をとられて転ぶ。
ボグッと鈍い音がして
ナウマン象の右足が折れた。
ガオオーン
激痛でバランスを失い
死に物狂いで大暴れする。
ナウマン象の鼻が
巨大に振り回され
右サイドの1人が
ドガーンと吹っ飛ばされ
10m飛んで
大地に叩きつけられる。
左サイドから
石槍が突き出された瞬間
怒りに満ちたナウマン象が
ドガガーッと
方向を変えて
左サイドへなだれ込む。
鋭く曲がった怒り牙に
グサーッと
ヤホが深々と背中まで
串刺しにされて
腹が割け
血をバケツ2杯も噴出する。
わずかなタイミングの差
バランスの変化
攻撃直前の
予想外の展開。
ヤホとカナが
石を抱えたまま
一瞬にして
この世を去った。
2人の真っ赤な血潮で
草が染まっていくのを
見つめるアモ。
フーッと
大きく息を吐き出し
アモは鋭く決断する。
「距離が5mほど足りない・・
だが、俺は
縄文の魂と歴史の
すべてを背負って
今ここで
鳥になってみせよう。
この日この時のために
生きてきたのだから。
記録を塗りかえるために。
伝説の一族として
この魂が
未来永劫
戦い続けるために・・な」
体内すべての血潮が
ピタリと動きを止めた。
グオッと鈍い鼻音の中で
ナウマン象の頭蓋骨は四散して
脳みそが辺り一面へ
噴水のように飛び散る。
ズサーンと地響きをたてて
奴は倒れた。
それは即死だったが
さらに信じられぬ光景が
無残にも目前に展開した。
倒れたナウマン象の牙と
大きく割れた石に挟まれて
アモも血反吐を吐き
腹部はズタズタ
助からぬ残状。
背中から牙が
胸にまで突き刺さり
10kgの石が
アモの下半身を
血だらけに粉砕した。
オモは
しっかりとその光景を
脳裏に焼き付けた。
これこそ
一生忘れてはならない
決定的シーンだ。
7人で600kgのナウマン象を
倒したという事実。
その伝説の継承者として
語り部の責任として
この映像こそ
忘れたはならぬ・・・と。
1歩2歩と
オモはナウマン象に向かって
草原をかき分けて進む。
割れた石を右手に掴み
大きく振り上げるや
ズガーンと
アモの頭の上に振り下ろし、
木っ端微塵にした。
ナウマン象の牙に貫かれた
アモの胸の肉片を手で掴み
口の中に含んだ。
アモの情熱と勇気
そして
22年間の勇気とスピリッツが
口を動かす度に
体いっぱいに広がるのを
強く感じた。
現代社会では
当たり前のこととして
全面禁止されている
人間の食肉行為。
しかしながら、5万年前
人肉を食べるということは
この時代では
正しい儀式であり
当たり前の宗教的な行事であった。
仲間の勇気を頂戴し
死者を尊敬するという
栄光に満ちたイベントであった。
以降、それは5万年近く続く
正しい習慣だった。
我々は夢を見ていたのかもしれない。
そうとしか思えぬほど
すべての風景が激変した。
緑なす草原
ぬけるような青空
金色に輝く太陽。
光明な真昼の風景が
暗黒の夜に変化した。
降るような星の
数知れぬ瞬き。
天空は
真夜中のブルーに変わり
天の川(ミルキーウェイ)が
大きく夜空を横切る。
輝く星明かりの中に
倒れたナウマン象。
その父象にすがり泣きわめく
母象の悲しみ。
子象たちは
気丈にも父象を起こそうと
建気に体をぶつけ
「ねぇねぇ~お父さま
起きてください!!!」
と、すがりつく
切なくも必死な姿。
夜露に濡れて輝く
一家の切ない愛が眩しい。
そして、夜の草原の中に
動かぬアモ、ヤホとカナたちの屍体も
ポワーッと明るく光り輝く。
その屍体からは
シュルシュルと
エメラルドグリーンに輝く
液体とも気体ともわからぬ霞の光が
夜空へ向けて
踊るように立ち上がっていく。
「オモよ・・残りし4人の仲間たちよ。
もういい。
これで充分だ。
子象たちを討つのは
もう止めなさい。
我々7人は縄文の
最大とも言える仕事を
成し遂げた。
この巨大な父象とともに
俺たち3人は
次の世界へ旅立つ。
君たち4人がこの地に残るように
母象と2頭の子象たちも
この地に残ることが
正しい在り方だ。
槍を地に起きなさい。
もはや子象たちに
父象は返してやれないとしても
命を残してあげよう。
オモたちの子供が
その子象たちと戦う日が
必ずやってくる。
その日のためにも
今日はここで終わりにしよう!」
オモたち3人の魂から発光された
エメラルドグリーンの光からは
優しく、そして
力強い声(メッセージ)が流れ
俺たちの意識へ呼びかけてくる。
母象と2頭の子象も
耳たぶをいっぱいに開き
ジ~~~ッと、そのメッセージを
体で受け止めているのが
はっきりわかる。
俺たちは
槍を大地にソッと置き
エメラルドグリーンの魂を見つめた。
それから3日3晩は
重労働だった。
3人の勇者たちの
屍を喰らい
勇気と元気に満ち溢れる
肉体ではあったが
丸々600kgの肉の解体作業は
3日3晩徹夜で行った。
樹木を集め
火を焚いて炙り
肉の燻製を作り続ける。
棲み家まで持って行く間に
腐敗せぬよう
加工しなくてはならないのだ。
7人で600kgの肉を
運ぶのすら大変なのに
3人の猟友を失い
悔しいが4人では
とても運べる量ではない。
5m近くの穴を掘り
地底の冷蔵庫を作って
半分以上埋めることにした。
一度帰って
仲間と共に
また取りに来るしかあるまい。
ほとんど眠らず働いたが
大地はあまりにも硬く
穴を深く掘ることができず
苦闘の日々。
「変だぞ。
掘れば掘るほど
地の底が熱くなってくる。
いつもなら
もう冷たくなるのに・・・」
「オウ~おかしいよな・・・
穴の中が異常に熱いんだ」
こんな経験は
4人とも生まれて初めてだった。
2~3m掘れば
地表に比べて冷んやりする。
かなり大変な作業ではあるが
5mも掘れば
いつだって冷たい世界だった。
肉を入れて
土をかけ
目印をつけておけば
往復20日かけて
助っ人と共に戻っても
冷温冷蔵に守られて
とても新鮮な肉を得られる。
豊猟すぎる年に
先祖が考え編み出したアイデアは
何十代も後の我々子孫にも
確実に引き継がれていた。
しかし、それが実行できる年は
10年に1回あるかないかだった。
大地を掘り下げれば
冷たい地中が
必ず約束されているはずだった。
ところが、掘れば掘るほど
火のように熱くなる地下に
皆、一様に首を傾げた。
「焼肉作るにはいいか!」
「戻ってきても焦げ焦げだな。
こりゃ~なにも残ってないぞ。
ははは〜」
冗談を言いながら
静かに苦笑した。
どうしていいかわからぬまま
4人で地表に戻り
座り込む。
体中に
火傷ができているのもわかるが
手のうちようもない。
何度も気を失い
起きては逃げ
石が体中ににボコボコとあたり
再び気を失う。
真紅と闇夜と白い煙に
取り囲まれて視界ゼロ。
そんな3つのパターンの景色の中を
あっちへウロウロ
こっちへヘロヘロと
無限に続き這いずり回る。
気を取り戻し、逃げる。
また気を失うという時間の連続に
もう勘弁してくれと
ギッブアップするということが
繰り返される。
思いっきり
肩や腕に燃えたぎる火山弾が当たり
ジューッという嫌な音と
己が肉の焦げる臭いがして
「もうダメかな・・・」
と何度も思った。
周囲には誰もいない。
死ぬほどの大けがをしたとしても
誰ひとり、俺の頭をかち割り
肉体を喰ってくれる
愛おしい仲間すらいない。
そのことがとても残念だ。
果たして
どれくらい倒れていたのか
全くわからない。
1日か3日か・・・。
ゆっくり立ち上がると
見渡す限りの乳白色。
白い霧に包まれた世界になっていた。
大地はほんのり温かい程度。
どこをどう漂白したのか
わかる筈もない。
体中がギシギシと
音をたてるほどシンドイのだが
どうやら俺は
まだ生きていることだけはわかる。
「フハーッ」
とため息をつき、座り込む。
随分と長い間
ぼんやりと時を過ごした。
体は痛いが
頭の芯はすっきりと鮮明だ。
「アモの伝説の話を
伝えてやらねば・・・」
それが最初に心に浮かんだセリフだ。
「生きて帰れればのことだが・・・
その場合だけ
可能なことなのだが・・・」
と呟く。
なにやら
地上を覆っていた
雲とも霞ともつかぬ白い煙が
うっすらと濃度を下げて消え
白い霞状態になっていく。
緑の木々
そして遥か彼方に
山影もボーッと見え始めた。
わけもわからぬ
滅茶苦茶な天変地異は
信じがたい猛威を振るい
今、収まりつつあるのは
確かなようだ。
いったい俺は
今どこにいて
どれほどの時間が経過したのか。
これからなにを
どうしたらいいのか。
なにひとつ判らない。
ただひとつ判っていることは
とりあえず生きていること。
手や足や体中を見回すと
無数の擦り傷、切り傷、火傷で
赤く火ぶくれしている。
自分の体とは思えぬほど
無残になってはいるが
生きてはいる。
節々の痛みをこらえ
立ち上がり
よろめきながら
まだ熱く焦げた大地の上を歩く。
霧が上っていく
焼け野原の高原の前に
異様な山が立ち塞がっていた。
ドーンドドーン
また山が火を噴き
火山弾が
宇宙(おおぞら)へ噴出され
天空に舞う。
震える大地、揺らぐ体。
意識だけが
脱出方向を求めて
異様なまでに研ぎ澄まされる。
ボーッボッボッ
赤くただれた周囲の世界。
熱さしかない紅の世界へ
突然、エメラルドグリーンの
クールに輝く炎が3つ灯り
シュルシュルと
天空より降りてきて
オモの周囲をとり巻く。
「オモよ!
さぁ立ち上がれ!!
歩もう!!!
仲間たちが再び集まって
おまえを導く。
我々が平和に過ごした
あの故郷の家へ
皆で戻ろう」
エメラルドグリーンの
明るく輝く3つの火の玉から
オモの心へ力強い声が届く。
「アモ・・ヤホ・・カナ・・」
ナウマン象と激闘して
この世を去った彼らの魂が
俺を救いにやってきたんだ。
感動と喜びが体中に溢れる。
ボーッボッボッ
さらに3つの
エメラルドグリーンの火の玉が
天空に点灯された。
一瞬で、それはなにかということが
すべてわかった。
「オモよ!
その通りだ!!
残る3人の仲間も
火の山との戦いに敗れ
焼け死んだ・・。
この地に魂を残しているのは
もはやおまえのみだ!!
だが、俺たち7人は
いつの日も、未来永劫
果てしなき先の日まで
共にある。
それが仲間なのだ。
さぁ来い!!
戻ろう!!!」
俺は、勇気一杯で火の草原を歩いた。
6つに揺れる美しき
エメラルドグリーンの魂に連れられ
素晴らしき永遠の仲間と共に
焦げる大地を歩き続けていく。
もはや苦痛はなにひとつなく
勇気と信頼しか
心の中には存在しなかった。
俺の体内にも
エメラルドグリーンの魂が
熱く熱く燃えているのが
はっきりとわかった。
先祖代々
我々が寝起きした洞窟の有様は
言語を絶する滅茶苦茶さであった。
山は崩れ、岩は割れ
なにがなにやらわからず
たったひとりでは
どこから手をつけるかも
見当がつかない。
焼け焦げた死骸や
バラバラに潰されちぎれた死体を
とりあえず集める。
当分、食料にはこと欠かないのは
安心できる。
俺ひとりを空腹と飢餓から
守り救うために
皆が体を残して
協力してくれたわけだ。
仲間の有り難さを
つくづくと感じた。
数日内に、肉を切り分け
燻したり、干し肉の製造にとりかかれば
一年ぐらいは
俺はなに一つしなくても
喰っていけそうだ。
食の心配はないが、次は棲み家だ。
とりあえずは寝る場所だが
やはり自分の住み慣れたところが
一番いい。
全体が大破し、全壊しているので
どこが俺の家なのかすら
皆目わからない。
あたり一面
すっかり闇夜の中に入っているので
夕陽の斜面から
家の方向を探ることも不可能だ。
手探りで、ともかくも
穴になっている窪地を探す。
これだけの肉があるということは
臭いを求めて
夜中にやってくるケダモノに
襲われ喰われてしまっては
たまらんと思いつつも
「今、俺が喰われれば
一族全員をすぐに追っかけて
この世を旅立てる・・・
それもいいかもな」
とも思う。
悲しさや寂しさではなく
俺ひとりだけとり残された
運命の不条理が
少しばかり気に入らないからだ。
ゴボッという音がして
手探りをしていた
指先の砂と岩が崩れた。
直径60cm、人ひとり
やっと通れそうな穴が
ポコッと開き
奥からボンヤリとした光が
外へ大きく漏れている。
「だ・・・誰かまだ・・・
生きているんだ!!!」
思わず胸がドキドキした。
足の先から、穴へ突っ込み潜り込む。
腰、胸、頭と、なんの抵抗もなく
短い時間で穴の中へスルリと
滑り込むことができた。
中へ入った瞬間!!
なんという懐かしさ
そして幸運な偶然に
喜びは頂点に達した。
「な・・なんだよ!
これは俺の家だ!!
すごいな~!!!
一発で見つけたんだ!!!」
見慣れし洞窟だったのだから
臭いと香りでわかる。
少し違うのは、洞穴の奥に
もの凄く明るく輝く光がある。
異様な眩しさだ。
正確には、洞穴の奥に
見たこともない
井戸のような穴があいており
その奥から、凄まじく明るい光が
天井に向かって
光の輪を噴出している。
どうやら、地殻変動によって
穴があいたらしい。
光に照らされた洞窟内に
はっきりとわかる者がいた。
妻のミューが
去年生まれたばかりの
女の子ワコを抱いたまま
壁にもたれてこの世を去っていた。
天井から落石した巨石が
背骨をへし折り
抱いたままの子は
母の胸の中で
押しつぶされたのだろう。
一瞬のことだったということだけは
読みとれる。
安らかで美しい顔の2人だった。
妻のミューも娘のワコも
可愛いほほ笑みを浮かべたまま
旅立っていった。
ミューとは
小さい頃からの遊び友達であった。
年の差も殆どなく
いつも一緒にいた。
そう・・いつもいつも・・
笑いあい、ふざけあい・・
ずっとずっとそうだった。
確か10歳だったと思う。
俺が初めて、大人たちと
狩に出ると決まったその夜
2人は結ばれた。
俺の初めての出陣を祝い
そして、心の底から心配してくれた。
明るく笑ってばかりいたミューの
涙ぐんでいる姿を初めて見た。
いつも一緒にいたから
たった数日でも離れ
別れることなど
考えていなかったのだ。
それから10年間
毎年狩に出て
俺の腕も経験とともに上がり
狩のない時は
いつも2人で
子供の頃と同じように過ごした。
肌に触れ、笑いあい
同じ視点でものを見る。
去年、待望の娘も生まれ
俺はもっと
偉大な勇者になると決心した。
大きなナウマン象を倒す
戦士になろうと心に誓い
ミューに話したことがある。
ミューはもっと
たくさんの子供を産むと答えた。
食べてしまいたいほど
可愛いミューと娘だった。
明日はミューと娘を
本当に食べることにしよう。
2人の生命と美しさと楽しさを
俺の体の中に存分に入れて
血として肉として
今後ずっと一緒に生きていくために。
部屋の奥の異様なまでに
眩しく明るい光を発光する
穴が気になった。
俺は、その凄まじい光量の
穴の入口に行き
下を覗き込んで唖然とした。
直径80cmくらいの穴の中は
恍惚とする異空間であった。
この世のものとは思えない。
そこへ行けばいくほど広く
深さは計り知れない。
氷なのか水晶(クリスタル)なのか
よくわからないが、キラキラと輝く
大きな円錐状のクレバスが末広がり
底なしに続く。
そして500mか1kmか
距離の感覚が全くわからず
なんとも言えなかったが
奥底には
明るいエメラルドグリーンの
もの凄い輝きが
ピカピカと眩しく
気体だが液体だがわからぬものが
フワフワ
ルンルン
とした躍動を見せている。
まるで、世界中の魂が集まり
大きな氷と水晶の殿堂の中で
華麗に舞い踊り、躍動している。
その楽しさと煌めきが
息を吸うたびに、体中に侵入してくる。
うまい喩えはないが
エメラルドグリーンに輝く
オリンピックの開会式の
大イベントのようなものだ。
ただただ呆然として
緑のうねりを眺め続けた。
この素晴らしさを
俺1人で独占しているのはもったいなく
妻のミューと娘のワコの体を
引きづってきて
穴から下を覗かせてやる。
もうこの世を去って
魂は抜けているとしても
楽しさ嬉しさを
共に分かち合った2人に
この喜びを伝えたかった。
穴から顔を出し
俺と妻と子の3つの顔を揃えて
美しい白い氷、水晶の輝き
エメラルドグリーンの
華麗な踊りを眺めた。
得体の知れぬ楽しさと
えも言われぬ美しさに
しばらく3人で
ぼんやりとしていた。
いつの間にか音もなく
我々3人は
美しく輝く穴を
ゆっくりと落下していた。
「穴が壊れたのだろうか・・・」
壊れたのなら
もの凄いスピードで
下へ向かうはずなのだが
何が起きたのかさえわからない。
わかる必要もないのかとも思う。
シャボン玉が
ゆっくり落下するように
3枚の軽い羽根(フェザー)が
宙を舞うように
親子3人の体が
ゆっくりと回転しながら
スローモーションで降りていく。
周囲の氷(クレバス)と
水晶の円柱はキラキラと輝き
エメラルドグリーンの美しい輝きが
上から降りていく俺たちを
しっかりと捉えている。
拍手されながら
大きな歓喜の中を
ゆっくりゆっくり俺たちは
何処とも知れぬ喜びの世界へ
向かっていることだけは
確かだと思った。
両手両足を大きく拡げ
大の字になると
とても気持ちがいい!
フワーッとした
緑の蒸気に包まれながら
俺は手を伸ばし
並行して飛んでいる。
この美しい緑の空間は
いつの間にか
大空ほど広く拡がっている。
妻のミューの手を掴み引き寄せた。
そして、泳ぐようにして
娘のワコも引き寄せた。
真下のクレバスの
エメラルドグリーンの輝きが
大きな拍手喝采(アプローズ)を
してくれたように思う。
すべてを越えて飛翔している。
3人がひとつの魂となり
魂の集団に向かって、今!!!
サーっと夏木立を渡るような
爽やかな風が吹き3人を包む。
風がキラキラと光る姿を
生まれて初めて見た。
風は光り
風は舞い
風は輝いていた
〈おわり〉
「縄文の風の中」を
お読み下さいまして
ありがとうございました。
お読みくださったあなたに
少しでも
勇気と希望と夢を
お届けできたら嬉しいかぎりです。
~感謝を込めて~
未来メディアアーティストMitsue