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【目次】
1.祖父の髭剃り
2.電信柱
3.タイヤ
4.あなたは幸せですか?
5.海苔
6.手紙
7.風が通り過ぎている時
8.おついたち参り
9.iphone6sのケース
10.また明日ね
11.下駄
12.想像力
13.香り
14.ちょうどいい
15.ご機嫌
16.おばあちゃんとの会話
17.2018年1月31日皆既月食
18.YES
19.母との電話 1
20.母との電話 2
21.父からの留守電
22.父の愛したモノ
23.ジムに通う貴婦人
24.山積みの風景
25.桜並木
26.八重寒紅
27.削り節
28.ふたつの善意
29.春よ来い
30.一期一会
31.老夫婦の音なき会話
32.母との電話
33.縁が真っ白な入道雲
34.キャベツと豚肉炒め
35.煮物
36.秋のお彼岸
37.ズルッとしている亀
38.思うがままに
39.無意識の手の動き
40.朝の装い
41.思えば叶う
42.8年前のある日
43.馴染みのお蕎麦屋さん
祖父の髭剃り
電信柱
キャラクター、ファッション、
コマーシャルに至るまで
「懐かしいモノ」への
渇望が止まらない昨今である。
懐かしいモノというものは、
どんなに雑な
提示の仕方をしても、
そのモノが
懐かしいと感じる人たちを、
確実に束ねることができる
不思議な力が存在している。
私の小学校生活の時代は、
おはじき、お手玉、
ベーゴマ、メンコなどが
子供の遊びの中心にあった。
学校の休み時間や
放課後になれば、
ランドセルの中の
特別な場所から、
それらの遊び道具を出し、
誰かの号令などないまま、
いつしかおきまりの
場所に集まる。
あちらこちらで
喧嘩も飛び出すが、
それも遊びのひとつ。
いつの間にか仲良く遊んでいた。
帰り道ともなれば、
黙ってダラダラと
歩くことはしない。
ジャンケンをして負けた人が、
電信柱から電信柱まで、
仲間のカバンを持つ。
今時そんな遊びを
見ることはないが、
当時は真剣勝負の遊びだった。
電信柱は等間隔に
あるわけではない。
ジャンケンをする前に、
次の電信柱との距離を確認し、
長い道のりになるとわかれば
負けられない。
子供ながらも、
かなりの真剣勝負の
一瞬である。
電信柱には、尋ね犬や猫のチラシが
貼ってあることもある。
「あの空き地にいた
猫に似てない?」
カバンは地面に置かれ、
行方不明の猫の話で盛り上がり、
一休みになることもしばしば。
目的地に着くまでの道中も、
さりげなく思いっきり
遊んでいたわけだ。
この子供時代の遊びを、
ご主人様に話した時
「今は、渋谷には
電信柱がないよ」
その時、改めて気がついた。
まったくないわけではないが、
下町に比べれば
極端に少ない。
雀や鳩が止まり木の
かわりにしている電線は、
もはや地下に
埋もれているわけだ。
いったい地下は
どうなっているのだろう。
アリの巣の断面図のように、
道路をスパッと
割って見てみたいものだ。
空を飛べない人間は、
飛ぶことへの憧れが強い。
パラグライダーは、
見事に鳥になった気分に
させてくれる。
高所恐怖症の人には
とんでもない話だが、
高いところに行きたいのは、
人間の本能ではないかと思う。
私自身も、高いところが
この上なく大好きな
ひとりである。
小学生の頃、
電信柱の上に憧れていた。
電気工事の方が
電信柱の上にいると、
居ても立っても居られない。
下まで垂れている
電線に触ると、
ビリビリしてしまうかなと
ドキドキしながらも、
少しずつ近づいていく。
電信柱には、階段のように
足を乗せる鉄の棒が
何本か設置されている。
小学生の私は、
当然一番下の棒にも届かない。
電気工事の方に
「危ないよぉ~!!」
と、何度言われたか
わからない。
あの棒に足を乗せて
上まで行きたいと
恋い焦がれてはいたが、
電気工事をする人になりたいと
思ったことはない。
今でも少し余韻は
残っているのだが、
初めてのビルに入ると、
まずは最上階に行きたくなる。
小学校生の頃に抱いていた
思いの破片が、
どこかの細胞に
存在しているのかもしれない。
車や飛行機などの
乗り物に加えて、
高速通信の発達など、
世界は時間を短縮することに熱中し、
それは半ば狂信的な
発達のように感じる。
カップ麺やファーストフードの出現で、
食べるという行為すらも、
時間が縮まった。
のんびりと電信柱から電信柱の
時間を楽しむことなど、
今や理解不可能かもしれない。
同じ景色でも、
勝った時と負けた時では、
まったく違って見えた。
昨日負けた場所で今日勝てば、
電信柱から電信柱の距離も
短く感じる。
現実には同じ風景、
同じ距離なのだが、
勝てば風景も距離も
一変するわけだ。
勝った負けたという意識が、
すべてを豊かに変えていく。
それは実は、
負けても同じなのである。
勝ち負けということよりも、
この遊びそのものが、
楽しく豊かだったのだろう。
合理性と引き換えに、風景をも
ないがしろにしてしまった昨今だが、
電信柱から電信柱のじゃんけんは、
大切なものがそこにはあった。もはや、
電信柱から電信柱のじゃんけんでは、
人の心を楽しくさせるのは
難しい時代なのかもしれないと思うが、
ゆったりのんびりと時を紡ぐことは、
大人子供関わらず、大切ななにかと
深く関わっていることではないかと
思うのである。
タイヤ
子供の頃、よく遊んでいた
空き地がふたつある。
ひとつは消防署の跡地。
もうひとつは、タイヤがたくさん
並べてあるところである。
ここは子供たちの間では
「タイヤ公園」と呼んでいた。
リカちゃん人形と遊ぶ
女の子の一面もあったが、
大概は、小学校から帰宅すると
ランドセルを投げ捨て、
男の子並みに擦り傷を
たくさんつくることの方が
多かった。
滑り台やブランコ、砂場など、
遊具が豊富な公園も
点在していたが、
そのような公園には
興味を示さず、
この空き地で遊んでいたのだ。
消防署の跡地で
なにをしていたかというと、
そこには2階から1階に
スルスルっと降りる
鉄の棒が残されていた。
今では想像もできない
絵柄かも知れないが、
その棒を、
ただ滑り降りるだけの
遊びである。
かなりアナログな遊びであり、
ただそれだけのことなのに、
飽きもせず何回も、いや、
何十回も滑り降りるのだ。
何度スルスルっと降りても
飽きなかったのだから、
かなり面白い
遊びだったのだろうと、
もはや人ごとのような
記憶となっている。
何人もの友だちと
滑り降りては
階段を上がりの繰り返し。
自分の番が来るのを
ドキドキしながら待つのも
楽しさのひとつだった。
着地が綺麗に決まると、
誰もが得意気な顔になる。
綺麗に着地できたからといって
誰に褒められるわけでもなく、
着地の綺麗さを
争っているわけでもない。
ひたすらスルスルと
降り続けるだけの遊びに、
ほとんど毎日熱中していた。
これは屋根の下の遊びだったので、
雨が降っても
遊ぶことができたのも
夢中になる要因の
ひとつだったかもしれない。
それでも、たまに
飽きる時があると、
タイヤ公園に行く。
タイヤ公園は、クルマのタイヤが
半分埋められていて、
等間隔に20個ほど並べてある
子供にとっては最高の場所だ。
そのタイヤの部分が
半分出でいる上を、
ピョンピョンと飛びながら進む。
途中で地面に落ちたら
最初からやり直し、
というだけのルールだった。
これまたアナログの極であり、
この単純な遊びもまた、
飽きずに遊び続けていたのだから、
時代というものもあるのであろう。
タイヤ公園の一角には、
ご用済みのタイヤが
うづ高く積まれていた。
子供なら余裕で入れる
隙間もあり、そこで
シールや鉛筆などの
交換をしていた。
人目に触れぬ
最適な場所だったので、
必ず誰かが何かの
交換をしていた。
交換が完了すると、
タイヤのゴムの匂いに
包まれながら、皆、
持ち寄りのお菓子を拡げ
食べ始める。どんなお菓子も
ゴムの味になるほど
強烈な匂いだったが、
誰も気にしなかった。
消防署の跡地は、
いつの間にかすべて解体され、
タイヤ公園も姿を消した。
中学生以降は、
鉄の棒を滑り降りる楽しさや、
タイヤの匂いも
すっかり忘れていたのだが、
大人になって、ある場所で
その匂いに再会した時、
昨日のことのように
すべてを思い出した。
その場所はバリ島だった。
バリ島に滞在していた頃、
ティンクリックという
バリ島に伝わる竹製の楽器を、
バリ人の友人に
教えてもらっていた。
ティンクリックは、
いわば木琴のような楽器で、
座って演奏をする。
11個の竹筒からなるものが
一般的だが、友人は12個のものを
使用していた。
一番長い竹筒は約1mあり、
範囲は2オクターブ強にわたる。
筒は木枠に紐で
つなぎ止められていて、
ゴム製のバチで竹筒を叩く。
わりと忙しい作業をする
楽器である。練習は、
涼しい朝か夕方。
バリ珈琲を飲みながら、
程よい湿気の中で
汗を流しながらの練習。
バリには楽譜はなく、
友人の手さばきと
友人が口ずさむ
「レロレロレ~♫」という
メロディーを聴いて
曲を覚えるのだが、
おたまじゃくしの楽譜で
育った私には、
この練習方法に馴染みがなく、
一曲覚えて次の曲に進めば、
最初の曲は
すっかり忘れてしまうという、
情けない有様だった。
ここで初めて見たバチに、
懐かしい匂いを
感じたのである。
このバチの先端には、
黒く丸いものがついている。
これが、タイヤで作られた
手作りのバチだったのだ。
しばらく懐かしい匂いの元を
彷徨っていたが、
あるとき思い出したのである。
「あっ!!タイヤ公園だ!!」
幼き頃に遊んだ
タイヤ公園のあの匂いに
抱かれながら、
なにがなんでも一曲だけでも、
完璧にマスターしようと挑む日々。
とにかく飽きもせず、
同じ曲を練習し続けた。
友人は忍耐強い。
そんな私に怒りもせず、
とことん付き合ってくれた。
どうにか帰国するまでには
一曲だけマスターし、
ティンクリックも購入した。
友人に頼んで立派な木彫りを
施していただいた。
棒はスペアーとして
2本つけてくれた。
なかなかに気がきく友人だと
思っていた矢先、
友人は棒の先端を指差し、
思いがけない話をしてくれた。
「棒の先についている
コレはタイヤだから、
日本でも簡単に作れるよ」
直径約2cmの黒く丸いものは、
やはりタイヤだったのだ。
思わず4本まとめて
匂いを嗅いだ。懐かしい匂い。
タイヤ公園の匂い。
そんな私の様子を見ていた友人は、
私がその棒を気に入らないのではと
思ったようだ。
「取り換えようか?」
「あと4本欲しい!!」
8本に束ねられた
タイヤ付きの棒を
トランクにしまいながら、
「幼少の頃に遊んでいたタイヤと、
また遊んでいたんだな・・・」
足で踏みつけていた
タイヤは姿を変え、
音という強力な友を連れて、
私の心を躍らせた。
あなたは幸せですか?
海苔
「ビールを飲まなきゃ、
1日が終わらな~い」
と叫ぶ友人の家のキッチンには、
春夏秋冬、いつ行っても
ビールケースが行儀良く
並べられている。
友人のように理由は
明確にわからなくても、
なんとなく・・・つい・・・
絶対・・・と、
買い置きしているものが、
誰にでもひとつやふたつは
あるだろう。
私の食卓には、
背の高いスマートなヤツ、
チビデブの愛くるしいヤツが、
必ずいる。おまけに貯蔵庫には、
いつ食卓にお呼びがかかるか
待っているヤツもいる。
ヤツとは「海苔」である。
海苔と卵があれば幸せ、
と言い切る私だが、
卵は毎日というわけではない。
冷蔵庫の卵スペースには、
そこにいつまでも
陣取っている卵が、
出番のないまま
数日過ぎることもあるが、
海苔は毎日出番がある。
一枚海苔で言えば、
常に五帖はキープ。
封を開けたものは、
湿気を嫌う海苔サマのために、
チャックのついている袋に入れ
冷蔵庫の海苔専用の
スペースに立てかけてある。
朝食に、なにもおかずがない時は、
かつぶしを醤油とみりんで味付けし、
海苔巻きの具として
食べることもある。
質素な食卓だが、
私にとっては
かなりの満足感である。
ここまでくると、
異常な海苔好きのよう
思えるが、
このネコマンマのひと巻きが、
私の海苔の原点なのだ。
小学生の頃、偏食が激しく、
野菜はほとんど口にせず、
肉もさほど好きではなく、
魚を少し食べる程度。
朝食のおかずといえば、
卵焼き、目玉焼き、
スクランブルエッグと
卵がメイン。
これではホカホカの白米も、
そんなには食べれない。
困った母は、
このネコマンマの海苔巻きを作り、
食べやすいように6つに切って
出してくれた。
本当に有難いことである。
これなら卵以外に、
鰹節と海苔も小さい体内に流れ込む。
栄養だけではなく、
ネコマンマの海苔巻きになると、
ご飯も一膳以上は食べてしまう。
小学生ながらも、
食べたという満足感で、
お腹をポンポンと叩きたい気分に
浸っていたわけだ。
海苔さえあれば大丈夫と、
幼き心に思っていた想いが、
大人になっても
続いているのかも知れない。
なにかを買い置きしている友人に、
今度聞いてみよう。
きっとその買い置きには、
必ずやひとつのドラマが、
あるような気がするからだ。
手紙
今や小学生でも
メールをする時代。
メールをやらない人を探すのが
難しいほどだ。
メールという機能は、
堂々と王様の地位に君臨し、
人々を面白いほどに
操っている。
スマートホーンなどから
メールを打っている人は、
試験問題を
解いているかのように、
眉間にしわを寄せながら
難しい顔をしている人が多い。
それは電車の中であれ
カフェであれ同じである。
ゲームをしているのなら、
負けて悔しい顔にも
なるだろうが、たとえ
恋人に打つ甘いメールでも、
機械が相手だと
難しい顔になるのも、
至極当然と言えば
当然かも知れない。
確かにメール機能は便利だ。
手紙なら速達や宅急便でも
1日はかかるところ、
メールなら相手に
数秒で届いてしまう。
私も勿論、今や
メール機能に操られている
ひとりではある。
20年ぐらい前は、
同じ都内に住む友人と、
A4の紙でいうならば、
約300枚にも及ぶメールの
やり取りをしていたが、
今は、仕事以外は
ほとんどやらない。
ある時から、
友人とのメールのやり取りに、
不機嫌な自分が
顔を出すようになったからだ。
無機質な画面に
戦いを挑むかのように、
顔文字を使ったり、
字体を変えたり、
色をつけたりと、
その人なりの工夫がある。
中でも多いのは
「元気?」の後に
ほほ笑んでいる
顔文字をつける。
これを見ると、
本当にほほ笑ましい気持ちで
打っているのかと、
意味のない反撃を
覚えてしまうときがある。
勿論、そんなことを
友人に聞いたことはないが、
ウズウズの回転歯車が
スピードを出し始めたある日、
手書きの手紙が
舞い込んできた。
その手紙には、
顔文字は書かれていないが
「お元気ですか?」
の文字だけで、
心がホカホカと温まった。
たとえお粗末な字でも、
その人が書いた字
というものには、
メールにはない想いが
漂っている。
ホカホカは、
互いに会って話せば
湯気が出る。
メールは勿論、
電話もない時代には、
相手がいるかどうか
わからないまま
足を運んだ。
いつまた逢えるかわからない、
声を聞けるかわからない。
その想いは、
さらに湯気に勢いをつけ、
逢っている時を、
とても大切にした。
話している相手と
面と向き合い、
時を慈しんでいたのだ。
言わば「一期一会」の
精神である。
人と人が触れ合って、
初めて湧き出るエネルギーの
交換がなされている。
今の時代のメール交換とは、
想いの深さに
大きな違いがある。
「一期一会」の後には
「また逢いましょう」
という言葉がつくと、
生前母方の祖母が教えてくれた。
実はここに
エメルギーの源があるのだ。
逢って話せば、
相手の声や表情に
意識が集中する。
メールのように
目だけではなく、
耳も使っているわけだ。
手書きの手紙にも、
この隠された
観えないエネルギーが
存在しているのだと思う。
それは目と共に、
相手の字から発せられる匂いを、
つまりは相手の想いを
嗅ぎとっているように思う。
この匂いが、手紙が発する
大きなエネルギーなのである。
風が通り過ぎている時
おついたち参り
さすがにみっともないほど
ボロボロになった
iPhone 6sのケースを
買い替えたく、
ビックカメラ渋谷店へ。
親切で丁寧な男性店員さん
「iPhone 6sのケースは
ここだけですね」
やはりもはや、
iPhone 6sのケースは少ないなか、
かなりの妥協で決めたその時、
常にニコニコしている
小太りの20代の女性が
「ここもiPhone 6sにあいますよ」
と教えてくれた。
男性店員さん
「ぼくより詳しいですね」
私のわがままを聞いてくれた彼に、
少々芽生えた憤りはすぐに消え、
ニコニコ彼女に厚くお礼を伝えた。
そこには、イメージにかなり近い
ケースがあったのだ。
今は赤だが、
結局もともと好きな紺色に戻った。
ニコニコ彼女は神さまだ。
神さまは、こういうカタチで現れる。
また明日ね
下駄
電車の中で幸田文さん
想像力
香り
バルコニーに洗濯物を干し終わった。
さて打合せで外出。
外の温度を確かめようと
再びバルコニーに出た。
一筋の風が流れた。
その瞬間、知っている香りが
わたしを包んだ。
洗剤は変えていない。
なんの香りだろう。
棒立ちになりながら
空を見つめていた。
確かに知っている香り。
遠い記憶を呼び起こしてくる香り。
だがわからない。
なにかの情景が
思い浮かんだわけでもなく
どこかを思い出したわけでもなく
誰かの顔が出てきたわけでもない。
一筋の風は
なにを運んでくれたのだろう。
家に入ろうとした瞬間
ヒヨドリが花壇にとまり
けたたましく鳴いた。
ちょうどいい
自然がつくりだす見事な造形を
神様がおつくりになった
あるいは
自然は芸術家だ
と言われることを、よく耳にする。
確かにそう思うが
神様や芸術家ということよりも
山も川も木も花も石も大地も空も
それぞれが
それぞれのかたちで
ちょうどよく
そこにいるのだと思う。
ちょうどいいとは
かけがえのないことであり
もっとも心地良いことだと思うのだ。
ご機嫌
いつからか掃除はやはり
雑巾がけが一番と思いたち
朝起きたら顔を洗う前に雑巾を絞り
家の中を雑巾がけしてから
顔を洗うというのが
些細な朝のルーティンになっている。
家の中のほんの一部に
雑巾がけがしてあると思うと
なんとなくご機嫌な気持ちになるのだ。
ご機嫌といえば
ここのところランニング中に
かなり高い確率で
見知らぬご機嫌な人に声をかけられる。
ある時は
自転車に乗りながら笑っている男性に
「おはようございます」と。
ある時は
子供の手をひいている女性に
「お気遣いありがとうございます」と。
すれ違うのに
ただ少し避けただけなのだが
彼女も驚くほどのほほ笑み。
走っている私は言葉は発せぬども
笑みだけをかえす。
ひとりで笑いながら歩いていたら
気持ち悪いと思う人もいるかもしれないが
やたらとそういう人とすれ違うこの頃。
ご機嫌なのだからいいじゃないかと
思うのである。
そういう人たちの傍らで
風になびく花や葉も、動かぬ木も
なにが嬉しいのかわからぬが
ご機嫌にほほ笑んでいるように
見えるのである。
おばぁちゃんとの会話
インドネシアの
ある村での
おばあちゃんとの会話。
わたし
「星が綺麗だなぁ~」
おばぁちゃん
「日本から、星は見えないの?」
わたし
「見えるけど、
こんなに綺麗に見えないよ」
おばぁちゃん
「じゃあ~日本は、
ここより下にあるんだね」
わたし
「………」
おばぁちゃんの中では
空の下にインドネシアがあって
インドネシアの下に日本がある
みたいでした。つまり
インドネシアの方が日本より
星が綺麗に見えるということは
インドネシアは日本より
空に近いということなのです。
地球がどういう形とか
宇宙がどうなっているかなど、
まったく知識の中になく
ただ、そういうことに
なっているみたいでした。
私の宇宙観を大きく変えた
ある日の
おばぁちゃんとの会話でした。
2018年1月31日皆既月食
母から久しぶりに電話があった。
「別に用事はないんだけれど
どうしているかしらと思って
今日は皆既月食よ」
「そうね。見えそうね」
天体の話から始まるのは珍しい。
数日前から天気は曇予報だったが
見えると根拠のない確信をしていた。
1月最後の日の満月。
ここにきて皆既月食とは
個人的にすごい流れとなった。
太陽、月、地球が一直線。
まさに美徳天道の道だ。
寒空の中
ベランダから眺める月は
見事な赤銅色の月。
陰、影、闇の偉大さを
改めて感じ入る瞬間。
冬は雄大な季節だ。
寒さは目では見えないものを
魂で観ることができる。
まぁるい月という名の惑星が
ふんわりと浮かんでいる。
私は地球という名の
惑星にいるのだと
腑に落ちるほど
実感できた光景。
肉眼で宇宙を感じるとは
こういうことなのだろう。
八方塞がりの時は
月の穴が開く時と
かつて教えてくれた紳士がいた。
今、八方塞がりと
いうわけではないが
月が穴に見え
美徳天道の道が開いていることを
はっきりと確信できた。
この日この時この瞬間に
感謝の気持ちでいっぱいだ。
YES
母との電話 1
母との電話 2
父からの留守電
「願わくば
父の愛したモノ
ジムに通う貴婦人
通っているジムで、関節という関節が
タコのようにくにゃくにゃと柔らかい
小柄な貴婦人がいらっしゃる。
ジムといっても区の体育館の一室。
設備は申し分なく、一回ごとに
300円のチケットを購入するという気楽さ。
いつでも老若男女が入り混じっている
素敵なところでもある。
私は行ける時に行くという通い方なので、
日時は決まってない。
そんな乱暴な通い方の中で、
たまにお逢いする貴婦人がいらっしゃる。
彼女は83歳。
ある土曜日の午後、貴婦人にお逢いした。
気がつかなかったのだが、
私の使っていたランニングマシーンが
空くのを待っていたようだ。
「次は私の番ね」
満面の笑みを浮かべ、
初めてお声を聞いた。
「お待ちだったのですね。
どうぞ。
体が柔らかいですよね」
「うふふ」
「どうしたらそんなに
体が柔らかくなるのですか」
「毎日動かせば、
誰でも柔らかくなるわよ。
お風呂あがりが一番いいわよ。
私、83歳なのよ。うふふ」
この時お歳がわかったのだ。
すべての動きが軽やかな貴婦人だが、
私がなんといっても気になるのは、
体の柔らかさよりも、
指を動かす所作とともに、
少し腰を振りながら歩く姿の
優雅さである。
必死になってマシーンやストレッチで
体の細部にわたるまで鍛えようと、
あの優雅さは出てこないだろう。
貴婦人が、なにかと親しく
結びついている証。
哲学か思想か、女であるということか。
いくつになっても、
こういう人になりたいと思えるお方が
身近にいる。
それはこのうえなく
幸せなことである。
山積みの風景
桜並木
いつものウォーキングの道は
桜並木の道でもある。
ある日、男性ふたりで、
何本かの桜の木の剪定をしていた。
人通りの少ない朝の風景である。
「この枝は切りたいところだけど
花が咲いたら全体的にいい感じだな」
「今年は切らないでおくか」
小耳にしたその会話から
タクシーの運転手さんの話を
思い出していた。
冬の京都に訪れた数年前のことだ。
「お客さん 桜の花は見えますか?」
「いえ・・・見えません」
「昔の人は冬の桜の木を
愛でたものですよ」
「・・・」
「花が咲いた時のことを想像してね」
見えないものを観て愛でる。
この日私は、
一足先に満開の桜並木を歩いた。
八重寒紅
自分で決めた
ランニングコースのひとつに、
梅で有名な公園に
立ち寄るコースがある。
早くも八重寒紅が咲き始め、
一部咲きというところだ。
遠くから眺めれば、多くの梅の木の蕾が
ピンクや白に色づいている。
風は冷たいが日向は春のようであり、
空は穏やかだが、雲ひとつない空は
私にとってはなんの魅力もない。
そんな想いを知ってか知らぬか、
青空を見ていた私の目の前の低木に、
一羽のメジロが、愛らしい声で
恋の歌を口ずさんでいた。
せわしく落ち着きのない
メジロには珍しく、
じっとしながら口だけが
せわしく動いている。
お目当てが近くにいたのかもしれない。
ヒヨドリも活発になりはじめ、
かれらには恋も食も
春が訪れているようだ。
削り節
キッチンを台所
クローゼットを箪笥
リビングを茶の間
と呼んでいた時代にわたしは生まれた。
子供の頃、
母に言いつけられることの中で
一番嫌いだったのが
鰹節を削ることだった。
台所の床に座り力一杯削る。
手が痺れてきた頃
削り節機の引き出しをあけても
まだまだ削らなくてはならない。
適当なところで止めてソッと逃げても
「もう少し削ってください」
と母に呼ばれることはしばしば。
いつから解放されたのか
記憶は定かではないが
海苔を焼かなくなった頃
鰹節も削らなくなったのだろうか。
せっかく解放されたのに
なにが悲しくてとまでは思わないが
実家を出てしばらくしてから
鰹節を削り、海苔は焼いている。
とくに、おにぎりや冷奴など
素材そのままにいただく一品は
鰹節と海苔の香りが恋人である。
ふたつの善意
ある朝、ふたつの善意に出逢った。
多くの車が行き交う大通り。
歩道寄りではあるが
車道で一羽の鳩が餌探し。
わたしが見ていても、
車にひかれないかと思うほどだった。
そこに年の頃なら50代の女性が、
鳩を歩道へと追いやっていた。
気持ちはわかる。
だが鳩は、
そんな優しさはわからぬまま、
車道の上をあっちに着地
こっちに着地していた。
そこへだ。
年の頃なら20代の男性が、
大きな声で
「いじめるなよ!」
こちらの気持ちもわかる。
鳩のことなど目に入らず、急ぎ足で
その場を通り過ぎる人たちに比べれば
2人とも鳩思いなのである。
そのうち鳩は、
2人の言動に飽き飽きしたのか
とにかくお腹を満たさねばと、
どこかに飛んでいってしまった。
なにもなかったかのように
その場から去る2人。
それを見聞きしていた
わたしはというと
まだ待ち人がこないまま
一人その場に取り残された。
心は笑ってあたたかい。
小春日和の暖かさと予報された、
ある朝のひとコマである。
予報通りマフラーはいらない暖かさ。
そして、予報しきれなかった
心の温かさのおまけつき。
春よ来い
ピンとした空気の中にある
凛とした風景が
たまらなく好きだ。
四季それぞれに愉しみはあるが
冬は上等な想いを運んでくれる。
春を待ちわびたことはないのに
今年は桜が咲くのを
いまかいまかと待ちわびている。
「若い証拠ね」
母が言う。
母よりは若いが
その真意は問わなかった。
ウォーキングの道は桜並木。
その一本一本に挨拶は出来ないが
メジロを見かけた木に立ち止まる。
スズメと共に
チッチッチッチッと
可愛い声。
道には鷺の白い糞が増えた。
梅の香り漂う風は
もうすぐ沈丁花の香りをまといだす。
すれ違う人々の顔も
春の顔になっている。
家々の塀に写し出される影に
膨らみが出てきた。
風景は緩みはじめたようだ。
一期一会
父方の祖母が、よく言っていた。
「一期一会」の想いの中には、
縁あって、逢っている、
今という時を大切にすると同時に、
『また逢いましょう』という、
深く強い想いがあるのだと。
いつまた逢えるかわからなくても、
必ずまた逢いましょう。
今を見つめると共に、
未来をも見つめる、
深く切なく美しい「想い」が、
確かに存在している。
そこには、自分という存在はなく、
相手を想うがゆえの、強い想い。
人と人は、
面と向かい合うことでしかなかった、
時の刻み方が、ここにある。
老夫婦の音なき会話
数日前のことだ。
花々が咲き乱れている小道を
足早に歩いていた時
品のいいお婆さんに
呼び止められた。
「ずっとこの先まで行きますか?」
「はい、しばらく先まで行きます」
不思議な質問に鼓動は高鳴った。
「この先で
杖をついたお爺さんがいたら
わたしは疲れたので
ここで休んでいると
伝えてくれますか?」
「あ、はい、わかりました。
お爺さんは何色のお洋服を
お召しですか?」
「何色だったかしら・・
すっかりお爺さんですから
すぐわかりますよ」
「はい、わかりました。
お見かけしたら
お伝えしますね」
50mぐらい歩くと
それらしいお爺さんと出逢った。
わたしは確信してお声をかけた。
「この先のベンチで
奥様がお待ちです。
そのことを伝えてくださいと
言われましたもので」
お爺さんは満面の笑みで
言葉なく頷いた。
ふと見ると、
お婆さんは立って
大きく手を振っている。
わたしもお婆さんに手を振った。
お爺さんは微笑みながら
2本の杖を器用に使いこなし
お婆さんのいる方向へと
歩いていった。
わたしが伝言を伝えなくても
お爺さんはお婆さんの元へと
歩いていたのだ。
お婆さんがあそこのベンチで
休んでいるなと
わかっていたのだろう。
携帯はなくとも
想いと動きが伝わる。
お爺さんのカンカン帽も
印象的だったが
お婆さんのつばの広い
ベージュの帽子につけられていた
葡萄のブローチが
今でも忘れられない。
母との電話 3
電話無精の私は、
母にもすっかりご無沙汰だった。
2ヶ月以上実家にも行っていない。
同じ都内にいるというのにだ。
お昼過ぎに母から電話があった。
声を聴いた瞬間
「電話してなかったなぁ・・・」
母からの第一声は、
「お昼食べたの?」
「天ざる食べたわ」
少し間があり
「がんばり屋の貴方だけど
一時の義理を欠いても
ちゃんと寝なさい」
なにも話したわけではないのに・・・。
いつも気にかけてくれている母に
感謝すると同時に、
言葉を超えた意識とは、
やはり凄いものだと、
改めて感じた。
縁が真っ白な入道雲
久しぶりにタクシーに乗った。
重たい荷物を詰め込み
ハンカチで汗を拭きとる。
行き先を告げると、おきまりの
季節のご挨拶の言葉からはじまった。
「環七にいったん出ますね
それにしても暑いですね」
夏は暑く冬は寒いのが当たり前。
恒例のご挨拶には、
少々不機嫌になる
嫌な女なのだが無視はしない。
目の前にはもくもくと厚い入道雲。
「気持ちのいい入道雲ですね」
この言葉から、
運転手さんの独断話が始まった。
「あの入道雲は
まだまだ夏じゃないですよ」
意外な切り返しに心踊る。
「どうしてですか?」
「夏を告げる入道雲は
縁がもっと白いんですよ」
「縁が白い?」
「そう、子供が描く入道雲のように
真っ白で透き通っているんですよ」
「お詳しいですね」
「じぃちゃんが漁師だったもんで
子供の頃いつも船に
乗っていたんです。
じぃちゃんにいろいろ
教えてもらいましたよ。
よく知っているんですよね〜
天気のことを。
いいお天気なのに
『嵐が来るぞ〜!!!』って。
本当にくるんですよ。
パソコンなんて
ない時代ですからね。
すべては雲と風で
わかってましたね」
「昔の人は素晴らしいですよね。
漁師さんを継ぐ気は
なかったのですか?」
「朝3時起きで、
夜は7時に寝ちゃう。
子供の頃は
テレビの漫画が見たくてね。
夜早く寝るのが嫌だったんですよ。
サラリーマンがいいって。
でもね、今となっては
漁師の方が良かったかなと
思う時がありますよ」
「誰か継がれたのですか?」
「誰も・・・タコがうまくてね〜
生きているタコは
本当にうまいんですよ」
ここからは目的地に着くまで、
タコとアワビの話が続いた。
縁が透明感のある
真っ白な入道雲を見つけるのが
楽しみになった。
キャベツと豚肉炒め
お夕飯にゴーヤチャンプルを作るつもりが、
豚肉とキャベツ炒めを作ってしまった。
先日、電話で母と話していた時のことである。
「今日のお夕飯は豚肉とキャベツを炒めたの。
久しぶりに作ったら美味しかったわ」
「ポン酢で炒めると美味しいのよ。
味が物足りなかったらお醤油少々でね」
その時の会話が頭にあったせいか、
冷蔵庫を開けた時、
キャベツを手にしていたようだ。
キャベツと豚肉炒めを、
ポン酢で味付けしたのは初めて。
お醤油少々入れたほうが私好みの味だった。
お夕飯後に友人から電話があった。
「今日のお夕飯は
ゴーヤチャンプルだったの」
明日の夜は間違いなく、
冷蔵庫を開けたらゴーヤを手にするだろう。
オレンジ色の月を見つめながら
笑う女ふたりの声を、
風はどこに運んだのだろう。
煮物
母がよく作る煮物が食べたくて
自分で作ることにした。
スーパーで母に電話。
「いつも作る煮物って
昆布と煮干しとこんにゃくと
さつま揚げと鶏肉と
あとはなにが入っていたかしら」
「あとは・・大根ね」
「大根は家にあるからこれでいいわね」
家に戻り携帯を見ると
母からの着歴があった。
打合せの時マナモードにしたままだった。
もしやほかに入れる材料のことでは
と瞬時に思った。
恐る恐る電話をすると
「あと椎茸だったわ」
「家に帰っちゃったわ」
「いいわよ椎茸がなくても」
電話を切りそうはいかないと
椎茸を買いに行った。
夜遅くに作った煮物は
母の味になっているだろうか。
明日の楽しみである。
秋のお彼岸
秋のお彼岸で実家のお墓参り。
道中にあるお目当てのお蕎麦屋さんの
営業にあわせ日にちを決めたのだが、
予報によると午後から雨。
母は雨予報を気にしていたのだが、
お墓参りは決まって午前中。
大丈夫だろうと予定通りの日にちで
お墓に向かった。
墓地に近づくにつれ
黒い雲が出現。
少し気にはなったが
言葉にはしなかった。
曼珠沙華があちらこちらで咲いていた。
カマキリと出逢った。
風はすっかり秋になり、
葉の音は濁音を帯び始めていた。
ほぼ掃除が終わるという頃に、
ポツポツと降り始め、
すぐさま傘をささずには
いられないほどの雨になった。
予報より早い雨の到来。
お店のように広げた掃除道具や
植木道具を手早く車に運び、
お花とお線香を供えた。
雨のお墓参りは初めてだった。
母は雨が降ってひどく辛いだろうなと
思っていたのだが、
2人で整ったお墓をみつめていた時、
母がポツリと言った。
「雨に濡れたお墓は綺麗ね」
意外な言葉にかなり間が空いたが
「そうね」
お墓を後にする頃には雨はあがった。
いつもなら、もう少し雨が
待っていてくれれば
よかったのにと思うところだが、
母の言葉はその思いを打ち消した。
雨が降ってくれて良かった。
ズルッとしている亀
ランニングコースの途中に、
小川に続いている小さな池がある。
池には5、6匹の亀がいる。
その池で、小川から池に行こうとして行けない一匹の亀を、
見知らぬご夫婦と一緒に見つめていたのは、約1年前だった。
なぜ行けないのかというと、
小川と池の間には大きな石組みがあり、
池のほうが少し高くなっている。
更には、水は池から小川に流れているので、
小川から池に行こうとすれば、逆流の中、
石組みを這い登らなければならない。
その水の流れは、亀にしてみれば速いだろうし、
石組みも高そうだ。
亀は、石組みを這い登ってはズルッと小川に転落。
もう少しというところでもズルッと小川に転落。
見つめていたわたしは「今後こそ頑張れ」と心の中で声援し続けた。
助けてあげたいが、それは助けになるのか。
自然界に人間が手を出していいのか。
声援虚しく、いつまでたってもズルッと小川に転落の繰り返しを、
10回以上見つめていたその時、
60歳前後の親切心溢れる和かなご夫婦が現れた。
ズルッとしている亀を見つめて3人で笑いあった。
そのうち奥様は、ご自身の手で亀のお尻をヒョイッと持ち上げ、
亀は無事にお池の中へ。
時世柄、除菌シートを持参していたのでお二人に渡し
「よかったよかった」と南北に分かれて手を振った。
亀は気持ち良さそうに、池の中に潜り続けていた。
数日前、また同じ風景に出逢った。
「またキミか…なんで…今…」
先にその亀の姿を見つめていた50歳前後の男性がいた。
装いから仕事の移動途中のご様子。
男性と目があったがほほ笑みもなく、
男性はすぐに亀に視線を戻した。
ズルッと小川に転落の繰り返しを、男性と無言のまま10回以上見つめ、
男性はその場を立ち去った。
肩を落とし、どことなく沈んだ後ろ姿。
おそらく、ご自身のとある人生を重ねたのか、
今日の吉兆を占ったのだろう。
わたしひとり。誰も現れない。去年の女性のような行動をとれない。
周囲をぐるぐると探し、やっと地面に落ちていた太い小枝を見つけた。
亀はお池の中に。
拾った太い小枝を元の場所に戻し池に戻ると、
一年前とは違う風景がそこにあった。
亀は池の中から顔を出し、いつまでもじっとわたしを見つめていた。
思うがままに
いつもよりはかなり遅い目覚めの、ある朝。
カーテンを開け、6時頃の空には眩い陽射しが輝く。
もう暑いかな…ランニングはやめて筋トレにしようか…
悩みながら白湯を飲む。
気持ちとは裏腹に、着替える手はランニングウェアを掴んでいた。
体を整えていると、程よく曇り空に。ランニングにはちょうどいい。
いつもの折り返し地点には、蓮の花で有名な真言宗のお寺さんがある。
その日の朝は蓮の葉に隠れるように、一輪、白い蓮の花が咲いていた。
「アナタが呼んでくださったのですね」
白い蓮の花は、外側からの光ではなく、花の内側からの光で輝いていた。
お寺の前にある小川では、いつもの亀もまた、珍しい光景を見せてくれた。
小川の途中にある石の段差の下に一匹、
なんとも気持ちよさそうに佇んでいた。
またここにいるのか。
また登れないのではないか。
と瞬時に思ったが、気持ちよさそうな顔を見て
「そこが好きなんだね」と。
その亀は、すぐに石の橋の下にいき姿が見えなくなるとほぼ同時に、
もう一匹が石の段差を上から下へと流れ落ちてきた。
そして、まるで滝行をしている修行僧のように、
流れ落ちてくる水の下で、少しの間、滝にうたれていた。
少し経つと、またあの仕草。
それは下から上に登ろうとしているのである。
またか…登れるのか…と思う間もなく、
いとも簡単に上によじ登った。
そして、彼は振り向くのである。
「簡単なことさ」
帰路のランニングでは、その言葉が繰り返され、
走っているのではなく飛んでいるような気分だった。
カラスが私の目の高さで追い越していった。
私は本当に飛んでいた。
無意識の手の動き
蝉が鳴いた日、夕飯にゴーヤチャンプルを作るつもりが、
豚肉とキャベツ炒めを作ってしまった。
先日、電話で母と話していた時のことである。
「今日のお夕飯は豚肉とキャベツを炒めたの。
久しぶりに作ったら美味しかったわ」
「美味しそうね」
「ポン酢で炒めると美味しいのよ。
味が物足りなかったらお醤油少々でね」
その時の会話が頭にあったせいか、冷蔵庫を開けた時、
ゴーヤではなくキャベツを手にしていたようだ。
キャベツと豚肉炒めをポン酢で味付けしたのは初めてである。
お醤油を少々入れたほうが好みの味だった。
夕飯を食べ終わった頃、友人から電話があった。
「今日の夕飯はゴーヤチャンプルだったの」
明日の夜は間違いなく、
冷蔵庫を開けたらゴーヤを手にするだろうと、
無意識が語りかけていた。
女ふたりの笑い声を、風はどこに運んだのだろう。
朝の装い
早朝の小さい雨は、風に街の香りが漂う時間には
すっかりあがりランニングへ。
雨あがりの心良い風は、桜並木の葉を揺らし、
雫となって宇宙の秘密を、あちらこちらで語りだす。
いつもの場所で折り返し、しばらく走ったところで、
それぞれの影が道に写し出された。
行きの道では、細かい雫を降らしていた桜の葉は、
帰りの道では、光の雫となり、ワタシを包み、進む道を輝かせた。
数十羽の雀が道案内。
あっさりと扉の鍵を渡してくれた。
宇宙の秘密は、開かれたカタチで香っている。
思えば叶う
数日前、友人と共に東京都美術館で開催されている
「ボストン美術館展」と「フィン・ユールとデンマークの椅子」の
鑑賞を終えたのが午後1時半を過ぎていた。
ランチからはかなり時間が経っている。
この時間なら館内のレストランも空いているだろうと思ったのだが、
その思いはくじかれ数組が並んでいた。
友人も私も並ぶのは好まない質。
さてとと思い立ったのが、様変わりした上野駅公園口から下に行くことだった。
生まれも育ちも葛飾区であり、実家を出たその後の生活も、
葛飾区文京区と東地区に住んでいた私は、上野は庭だった。
今は西地区に住んで9年に入り、かつての庭の上野は、
年を追うごとに遠く感じるようになっていた。
そんなことから、上野の街の変わりようは、噂だけで体感しないままだった。
友人とゆっくり坂を下ると、目の前には知らない建物と街が広がっていた。
なにかに浸るほどの余裕はない。
なぜか。
お腹が空いていることには、情緒もなにも勝てないのである。
たくさんある店の中で、数日前から食べたかった雲呑麺が目に飛び込んできた。
店名もなにも見ずに「これだ」と思い友人に話すと「いいよ」できまり。
「梅蘭」だった。わりと馴染んでいた味に大満足。
店を後にすると、もう1つ上に行けるエスカレーターが目に入り、緑が見えた。
屋上かなと思いつつ、どこでもいつでも上があるなら最上階を目指す私は、
ジョットの鐘楼414段、クーポラ464段を自分の足で登り
フィレンチェの街並みを楽しみ、
サン・マルコ広場の南側に面して建つ鐘楼はエレベーターで登り
ヴェネチアの風景を心に刻んだ。
エスカレーターに足を踏み入れた私は、
上に広がる風景に呆然とするなどとは思いもよらなかった。
目の前には西郷隆盛さん。友人と顔を見合わせ「えっ?????」
かつての庭は、ここまで変化していたとは驚きだった。
そしてもうひとつ。雲呑麺同様、
数日前からTHE BOOM の島唄が頭から離れず
「♪でいごの花が咲き風を呼び嵐が来た♪」でいこはどんな花だったかと検索し、
沖縄によく行っていた頃に目にしたでいごの花に記憶を巻き戻していたばかりだった。
そのでいごの花が目の前でゆらゆらと風まかせにのんびりゆれていた。
最近はiphoneで写真を撮らなくなっていたが、カメラを持っていなかったこの日、
思わず西郷さんとでいごの花のツーショットを撮った。
心に浮かび思えば目の前に現れる。そんな日だった。
雲呑麺とでいごの花ですけどね。
8年前のある日
どこにいても黒蝶が現れていた夕方
「虹だ!」と叫ぶ女性の声に慌てて見上げた空には、
虹ではなく彩雲がいた。
あたたかい想い。
生きた蟹や海老が
網の上で赤くなりながら動いていた夜。
カウンターの並びの席の男は
大きい声でえげつない話をしていた。
やりきれない想い。
朝目覚めたホテルの9階の窓際に
雀が10羽以上とまっていた。
着替えるのも恥ずかしくなるほど
部屋の中を見つめていた。
かけがえのない想い。
8年前のある日の
夕方から翌朝の出来事である。